同じものばかり

 僕の研究室の同期に、同じものばかり食べる人がいた。例えば、食堂で延々とかぼちゃの天ぷらをヘビーローテーションしていたり、あるいは毎日のように若鶏醤油揚げを食べ続けたりといった具合である。なお、これらの共通点は満足度のわりに値段が安い、つまりコスパが良いということである。一度気に入ったらそれを繰り返す習性のあるフレンズなんだね

 

 僕はといえば、同じものはなるべく食べたくない人種である。食堂でも昨日食べたものと全く同じものは避けるようにしていた。また、外食するときも、二つの場所で迷ったら、Swarmで自分のチェックイン履歴を探して、チェックインがより古い方の店に行くようにしている。もっとも、自炊するときは、同じものが2日続くことは当然ある。

 

 どうやら、食べるものへの考え方は、子供の頃の家庭の方針によるらしい。親が、いろんなものを作る家庭なら、いろんなものを食べたくなるし、親があまりろくに料理しない家庭なら、食への関心も薄くなる。やはり、家庭での教育がその人の価値観にもたらす影響は大きい。

 

 ところで、よくよく考えてみると、僕にもヘビーローテーションするものがあった。それは動画の視聴である。僕の過去の行動を回顧すると、一度気に入った動画を繰返し視聴する習性があるらしい。僕が「みくみくにしてあげる」のダンスを練習していることは周知の通りであるが、それに伴い、YouTubeで踊ってみた動画やMMD動画をよく勧められるようになった。

 

 ここ一二ヶ月のお気に入りの動画はこれである。
 

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 EasyPopさんのハイファイレイヴァーのあぴミクMMDである。EasyPopさんって、ハッピーシンセサイザしか知らなかった……(失礼 キャッキーな曲調、ポップな音楽、大人びた歌詞に、あどけないあぴミク、かっこいいダンス。絶妙な組み合わせである。子供っぽいミクさんがこんなかっこいいダンスを踊ってるというところが、僕の心の琴線に触れたらしい。さすがあぴミクあざとい。どこを止めても可愛い。でもかっこいい。最高か。


 この動画を見る度に僕は暗澹とした気分になるわけである。僕は、MMDのミクさんよりも可愛く動けるんだろうか。不安になる。ていうか、ミクさんの着ぐるみでこんなに動けたらすごい楽しいし、めっちゃ可愛いし、ごっつかっこええやろなあと思うのだ。

 ちなみに、人間が「踊ってみた」ら、こんな感じ。

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 中学2年の「ひま」さんという踊り手らしい。初めて知ったが一目惚れである。可愛い。かっこいい。いや、マジか。これで中2か。ああ、でも、僕の塾の教え子で中2いたけど、ませてた子やったら、こんな感じやったなあ。いいなあ。こんだけ踊れたら楽しいやろなあ。そんなことを思いつつ、何度もこの娘のダンスを視聴するわけである。もうロリコンでいいや。

 

 それくらい踊れたら楽しいだろうなあと思いつつ、僕はへなちょこのダンスを練習するわけである。先日、うちに泊まりに来たLくんに僕のダンスの途中経過の動画を見せたら、サビに入る前に興味を失われ「難しいよね」などと慰めの言葉をもらった。僕のダンスは、エンドレスエイトに並ぶ「やらなきゃよかったのに四天王」に入れること請け合いである。やらなくて後悔するよりやって後悔した方がいいって言うじゃないなどと言うが、それに費やしたコストを考えると、やらなくて後悔するほうがいいという説もある。

ないものねだり

 人間ないものねだりと言うが、本当にそう感じさせられることがある。それは、単純労働がしたいという感情である。
 一流とされる大学を卒業し、さらにそこから先、修士まで行くと、よほどエキセントリックな就活をしない限り、なんだかんだで普通の人生をそこから先歩もうとすると、頭脳労働となることが通常である。
 会社によって、多少の差はあろうが、仕事にはそれなりの自由度がある場合が多く、ただ単に手を動かすだけでは仕事にならないことが多い。自分で考え、俯瞰しながらある程度系統立ててまとめながら、仕事を進めないといけないことが多いんじゃないかと思う。
 特に、研究職の場合、解のない仕事も少なくなかろう。いろいろな実験を試してもうまく行かない場合がある。となると中途半端な状態で仕事を切り上げ、うまく行ってないにもかかわらず、報告会みたいなのに突撃しなければならないというような、喉の奥に小骨が刺さったみたいな日々を送ることになることがある。

 単純労働というのはその点、気楽に見えてしまう。決められたものを決められた手順で決められたように手を動かしていれば、だいたい時間内に仕事が終わり、定時になれば仕事のことをきれいに忘れられて仕事から解放されるのだ。
 芳しい結果も出ず、その割に手間のかかる実験ばかりやってる日々が1週間も続くと、単純労働がしたい、というないものねだりの感情が湧いてくるようになる。人間なんて身勝手なのだろう。
 もっとも、会社によっては1年目は、研修などと称して、マジで製造現場で働かせるような場所もあるらしいが、そういうところで働いてる人が言うことには、「単純労働は8ヶ月が限界」とのことである。リアルだ。やはり、所詮ないものねだりはないものねだりなのだろう。
 
 ないものねだりってのは、底知れぬもので、ともすれば派遣社員が羨ましいようにも見えうるものなのである。
 責任は少ないし、会社に対して一蓮托生というか義理をそんなに感じることもないから、身軽そうでいいなぁとも思ってしまうことがある。
 実際のところは、将来不安すぎて全然気軽にはいられないんだろうと思うけど、将来への期待値が必然的に低いから、まあミクロな視点で見るとやっぱり羨ましい。これが、結婚するかもしれないなどとなると、そんな悠長なことは言ってられないんだろうと思うけど、こんな趣味を持ってる人間、結婚できないし、どうせろくな人生歩めまい。正社員はオーバースペックじゃないかと感じるときさえある。

 ところが実際、なまじ高等教育を受けたせいで、知的好奇心や探究心というのは、並の人と比べるとそれなりに持ってしまうようにできてるらしく、本当に単純労働だけになってしまうと、それはそれで味気ないだろうというのも容易に想像できる。
 たまに、本当に手間のかかる実験で、マジで同じことの繰り返しで単純労働みたいになってしまう日もあるが、午後になるとだいたい発狂しそうになる。パン工場のラインで働いてる人とか、刺し身にたんぽぽ載せてる人とかすごいなと思ってしまう。

 ただ、よくいい大学に行くことは選択肢を広げることになると言われるけど、別に選択肢が広がってるんじゃなくて、選択肢そのものが(たぶん上の方に)シフトしてるだけだよなー、と思う。その点はもう少し考えてもいいかもしれない。
 それでも、大卒より高卒の方が幸せそうに見えるというのは、皮肉である。でも、本当に幸せなのかどうかは分からない。牛乳を吸わされた雑巾のような扱いを受けている場合がある。それでも満足しちゃってるというか、うーん、幸福感ってのは絶対的なものじゃなくて、本人の期待値との落差で定義されるんかなと思ってしまう。たってブータンの人別に多分そんなに絶対的に幸せとは思えないでしょ。

 何の話だっけ。ないものねだり。
 我々男性にはおっぱいがないから、偽乳をつけて着ぐるみを着るのだ。おっぱいは我々男性にはないからね。偽乳をつけるのも広い意味ではないものねだりだ。
 でも、股間のもっこりは手放したくない。硬くなってる着ぐるみさんは素敵だからだ。
 どうやら、ないものねだりというわりに、あるものは手放したくないのだ。おちんちんは手放したくない。なるほど、どうりで修士という資格や正社員という肩書きを手放したくないわけである。

コミケに出ます

 そんなコミケであったが、ついに僕が出展することになった。きっかけは、僕がいつものようにTwitterで徒然なるままに、着ぐるみに対する馬鹿な持論を展開していたところ。どんな持論だったかもはや覚えてはいないので、どうせくだらないことであったのだろう、と想像するに難くない。そうしたら、松さん*1が、「くっしーは、コミケに同人誌を出せ。着ぐるみに対する論文を書いて、きちんと文章として世に出すのだ」というような趣旨のことを言ってきた。

 なるほどである。着ぐるみに対してみんな思い思いの哲学を抱いているのだろうということは推測できるが、それをきちんと文章という形で表現する人が、界隈を見渡しても極めて少ないのである。
 それこそ小説という形で公表しているとん太さんくらいか。まあ、とん太さんは別格として、僕がしばしば界隈で「業の深さ」を指摘されるのは、着ぐるみに対する感情や哲学をありとあるゆる語彙を駆使して表現し、それらをTwitter、また時にはブログに書き殴っているからである。逆説的に言えば、別に僕は特別業が深いわけではなく、単に表現能力が秀でているだけなのだ。師匠たるよっきーさんにも「ちゃんと言語化できるのがすごい」と言われたことがある。伊達に京大は出ていなかったのかと思わされる瞬間でもある。自分を客体化して観察するのは、それなりの技能がいるものらしい。

 とは言うものの、どんな同人誌を書けばいいとのか皆目検討がつかない。松さんに聞いてみると「論文でも書けばいい」と言われた。
 しかし、論文というと(人文系の論文はよく知らないが)、Abstractから始まりIntroduction、Experimental、Results and Discussion、Conclusionからできてるあれである。最後にAcknowledgementをつけて炎上するアレである。何を題材にするかにもよるけども、論文と銘打つには多くの文献や過去の研究に当たり、根拠と客観的事実を並べ論理的に記述する必要がある。あるいは、フェチシズムを研究する心理学の大学の教授にアポイントを取ってみるとか。
 このあたりはすくみづ氏が出したフェチシズムの同人誌などが参考になるだろう。まだちゃんと読んてはいないが、ネットがなかった頃、人々はどうやって同志を見つけていたかといったことなどの調査がインタビューや対談などを通して明らかにされている。
 とは言うものの、僕は着ぐるみというものに対して、そこまで包括的かつ客観的に記述できる気がしない。あくまで自分の着ぐるみに対する思いや哲学を客観的に記述できるだけである。それでは論文とは言えないだろう。

 結局、論文という体裁ではなくエッセイという体裁を取ることにした。今のところ、考えている構成は、
1.美少女着ぐるみとは
2.僕と美少女着ぐるみとの関わり
3.なぜ僕は美少女着ぐるみは萌えるのか
4.美少女着ぐるみとグリーティング
5.美少女着ぐるみとエロ
6.対談
7.アンケート
である。初めに、着ぐるみOverviewとして簡単な説明から始まり、自分の着ぐるみの歴史・変遷を語り、着ぐるみに対する自分の思い描くさまざまなフェチを概念的にまとめる。そして、着ぐるみの陽の部分(グリーティング)と陰の部分(エロ)のフェチを具体的に記述していきたい。対談とアンケートは未定である。誰かと対談をしてほしいという声があったが、誰と対談するのがいいか考え中である。

 ともあれ、そんな内容の同人誌をコミケに出展することになってしまった。書類不備がなければ、競争の激しいジャンルでもないので、相当の確率で当選する可能性が高い。いずれどこかで自分の着ぐるみフェチを体系的にまとめてみたいと考えていたので、いい機会である。また当選したら報告します。

*1:市川松三郎さん。

コミケを振り返る

 僕が高校生の頃は、コミケというものは遠い東の国で行われている同人誌即売会であるということは、インターネット上で得た知識として知っていた。だが、TOKYO、それは遠い国。自分には縁もない場所だと思っていた。
 しかし、高校2年の冬、当時文芸部に属していたオタクな友人とともにコミケに行ってみたいという話になり、二人で初めて夜行バスという乗り物に乗り、伝説の地東京へ赴いたのであった。初めての参加であるにもかかわらず、友人は目当てのサークルがあるのだといい、朝7時頃から並んでいたのだから、なかなかの強者であった。
 かくして、僕も一緒に買ったのがうつらうららかの「うつらごちゃまぜ」であった*1。僕が垢転生する前のTwitterでは、そのサークルの看板娘であるあやなちゃんというオリジナルの女の子をアイコンにしていたので、古くからの知り合いは知っている人も少なくないだろう。
 夜行バス日帰りという弾丸行程だったので、とにかく夕方には脚が棒になったことを今でも強く覚えている。お上りさんよろしく秋葉原の街を見物して帰ったというのだから、おめでたい。なんせ山手線に乗って、テレビでしか聞いたことがない地名だ!! と騒いでいたのだから、田舎者丸出しであった。

 さて、それから数年後。僕は、乗り鉄が趣味と一つとなったこともあり、腰の軽さは一般人に驚嘆される程度なり(ただし、着ぐるみクラスタというくくりで見れば、それほど大したことはない)、東京は暇さえあれば比較的気軽に行ける場所になった。そして、あのコミケでさえも行こうかと思えばいける場所になった。もっとも、あのときのような朝7時から並ぶというようなエクストリームな参加の仕方はしなくなった。

 過去2回、コミケでは売り子をしたことがあるというのだから驚きだ。高校時代では、オタク趣味で漫画も描いていた先輩が先にサークルデビューするに違いないと囁かれていたものだが、あろうことかその先輩は未だにコミケに一般参加したことさえないという。

 過去2回のうち一回は、松さんこと市川松三郎さんのサークルでの売り子だ。猫の写真集というコミケ全体で見ると、ややマイナーなジャンルではあるが、かなり多くの人が買って行ったと思う。サークルでは、卯月くんと一緒に売り子をしていたのだから、尚更のこと歴史を感じる。彼は今、もっぱら九州から出てこなくなったし、我々童貞着ぐるみ界隈には振り向きもせず、女性レイヤーさんとの親睦を深めている。僕は、彼のことを出会い厨と揶揄しているが、もっとも、着ぐるみに関心は持つもののどう絡んでいいのか分からないレイヤーさんは多そうなので、そういった人たちと交流を持ち、着ぐるみのポジティブキャンペーンを結果的に行っている彼は、少し応援している。

 残る一回は、師匠であるよっきーさんのサークルである。それも、着ぐるみでの売り子だったのだから、なかなか強者であった。言うまでもないが、着たのは椛である。ただ、残念なことに鉄道ジャンルでの出展で、着ぐるみ同人誌は副だったので、着ぐるみコスプレでの売り子は、やや場にそぐわなかっただろう。ちょっとびっくりされてる方が多かった。とは言うものの普段見慣れない着ぐるみに感激している方も少なからずいた。また、このコミケでじゃんまくんを沼に落としたらしいことは特筆に値するだろう。このとき、同人誌を買った方には握手していったのだが、じゃんまくん曰く、このときに握ってもらった椛の手が忘れられないそうだ。椛の手は僕の手……。

 コミケでの着ぐるみはなかなかに過酷で、そこまで温度は高くなかったものの、会場の滞留した空気と、強烈な湿度はじわじわと中の人の体力を奪い、累計3時間半程度でギブアップした。師匠の前でギブアップという弱音を吐くことは大罪である。知らんけど*2
 ちなみに、コミケでは有名な面外しルールがあり、移動時は面を外すことが強制されるという被り物レイヤー泣かせな決まりがある。面を外すとその面で手が塞がり、別の危険が生じているのだが、まあそれはいい。僕はこのルールは賛成というか、面白いと思っている。というのも、普段年間何十回もイベントに参加していて、その中には子どもと触れ合うことのできるイベントも多いのだが、当然そんな街中で面を外すことなどできない。それこそ緊急事態、救急車を呼ぶ一歩手前まで被り続ける、すなわち女の子で居続けるつもりだ。「絶対に面を取らないでくださいね」などと釘を刺されるイベントさえある。つまり、人前で面を外すということはタブーでありやってはいけないことなのだ。コミケ会場ではそのタブーが推奨され、強制される場所なのだ。和室に案内されたら「ここの障子全部破ってください」、お風呂に案内されたら「入浴剤まるまる一缶入れちゃってください」、共産党の事務所に案内されたら「ここでオスプレイ配備賛成と叫んでください」と言われるような気持ちである。普段普通はできないことが堂々とできる、これってちょっと快感じゃないですか。どうせコミケなんて同志の集まりだ。マスクオフが見られたところでなんぼのもんじゃい、と。

 そういや、どざいさんが興味深いことを言っていた。「マスクオフルールに文句を言うやつは、着て可愛いやつだけにしろ、着てもおっさん脱いでもおっさんだったら、ビフォービフォーじゃねえか、俺にビフォーアフターを見せろ」。"着てもどざいさん"と言われた彼が言うと非常に説得力がある。

*1:当時新刊で買った初めての同人誌が、今見たら中古で100円だった。時の流れを感じる。

*2:実際は、弱音を吐かず本当に最後に着続けて、倒れる方がよほど迷惑で大罪である

後に引けない状態を作る(後編)

 かくして、初音ミクの着ぐるみを着て、「みくみくにしてあげる♪」を踊るというミッションを課せられた僕は、ダンスの練習をすることになった。

 やはり、YouTubeニコニコ動画などで踊り手さんの動画を見て、それを見様見真似でやってみるという方法を取ることになる。まず、動画を左右反転するプラグインを入れ、鏡のようにして動画を再生することから始まった。HTML5、何者かは知らないが奴は便利である。さらに、YouTubeの機能として再生速度を0.5倍速にできるというものがあるので、これらを駆使し、動画を解析する。
 いくつかの動画を見て、やはり微妙に振り付けの違いがあったり、また多少なりとも上手い下手がある。「あ、こいつそんなにうまくないな。これよりは可愛く踊れるようになるぞ」などと、身の程を弁えずに息巻いてしまうのである。人間というのはかくほどまでに馬鹿なのであるかと後ほど思い知ることになるのであるが。

 振り付けのもとになっている小倉唯の動画は、あまりにもキレがありすぎて、「なるほど分からん」という状態になったので、大川麻理江という舞台女優がミクのコスプレをして踊っている動画があり、また彼女が可愛かったので、基本的にそれを参考にすることに決めた。
 やることは0.5倍速にした動画を4小節ごとに再生しながらは止め、それを真似ながら、ああでもないこうでもないと悩みながら、鏡を見て違うと嘆き、というのを繰り返すわけである。ああ、なんて地味で情けないのだろう。

 ニコ動には数々の踊り手さんの華々しい動画が上がっているが、その背景にはこのような地味な積み重ねがあったのか。NFのニコテラで踊っている彼らに我々は魅了されていたが、そのうしろには地道な練習を重ねているわけである。
 喩えば、華々しく東大や京大などの難関大学に受かった人がいるとする。彼らが合格発表のときに飛び跳ねている場面を想像するだろうが、その背景には、例えば英単語のターゲットを一つずつ暗記したり、もしくは何度となく和積と積和の公式を書いて暗記したり、あるいは導いていたりするのである。華々しい成果は、地味な積み重ねの上に成り立つのである。と、ここまで書いて思い出したが、京大に受かっている僕は、結局最後までターゲットは勉強しきれなかったし、三角関数の公式こそ覚えてはいたが、極座標積分の公式は半ば投げ出した状態で受験に望んでいたのだから、救いようがない。いよいよ暗澹たる気持ちになってきた。

 さて、ダンスの練習は順調に進み、約1ヶ月でとりあえずはという段階までは来た。いったんここまでの成果を確認しようと自分が踊っているところを動画に撮って見てみるわけである。端的に言うと苦痛であった。なぜ、俺が俺の踊っているところを見なければならないのか。よほどのナルシストでもない限り、そこそこの拷問である。とは言うものの、人様に見せることを最後の目標としているのだから、まずは自分で確認せねばならぬ。避けては通れぬ道である。
 これで、ダンスがうまければ、この作業も楽しいのだろうが、例えて言うなら、センター模試を何度解いて自己採点しても60%くらいしか取れていないような感覚である。落第はしないかもしれないが、まあ京大は無理だよね、和歌山大くらいなら狙えるのかなあ、みたいな出来なのだ。挙句、最初の頃に「こいつよりは可愛く踊るぞ」と低く評価した動画をもう一度見直して、「いや、この人も結構うまいじゃん」などと思い始めるのである。それはさながら旧帝大を目指して受験勉強を始め、関関同立を嘲笑っていた受験生が、最終的に日東駒専くらいで満足しちゃう構図と同じであった。まあ、世の中にはピン大でも? 立派な人も? いるし? いいんじゃないかな?? などと自分に言い聞かせ始めたのである。

 自分の士気もリーマンショックのごとくガタ落ち、これではいかん、とせっかくなのでミクさんを着て動画を撮り直す。苦痛感はだいぶ軽減されたが、まあ、なんというか「違うコレジャナイ」と苦しむわけである。もっさりしてる。Nexusのようなスマホを夢に描いていたのに、初期の東芝スマホみたいなのが出てきたわけである。せっかく可愛いミクさんなのに、そのミクさんを可愛く操演できない自分が恨めしく、申し訳ない。よく創作で指摘されることだが、自分が書いている以上、小説の登場人物は絶対に自分より聡明なキャラには描けないという話を聞いた。当然のことながら、中に僕が入っている以上、ミクさんは僕以上の動きはできないのだ。それこそが着ぐるみなのだと思い知った。素敵だけどちっとも素敵じゃない。

 あと、着ぐるみを着て踊ると気づく点が何点かあった。
 ミクさんは視界の良い面なので、その点ではさほど苦労はないのだけども、ツインテールが邪魔である。荒ぶるツインテールを自分の身をもって体感できるのが着ぐるみの魅力である。普通に踊ってる最中に自分の手でツインテール引きちぎりそうになるからな。
 あと、頭が重い。ミクさんの面は軽い方ではあるが、やはりツインテールにはそれなりの重量があり、ただてさえ体幹の安定していない僕は、踊るとふらふらする。
 それから、流石に飛んだり跳ねたりするから息が苦しい。普通に着ぐるみなしで踊っていても、暖房を消す運動量である。わずか2分の曲を踊りきっただけで、5分は肩で息をしながらうずくまるのだ。MMDでミクさんは何事もないかのように軽やかに踊っているが、彼女の体力はすごい。ユースケが「剛はダンスをやっているからな」とダンス万能説を唱えるが、ダンスができる人はすごいのだ。で、肩で息をしていても、鏡の中のミクさんは表情一つ変えないので、すごく着ぐるみらしくて興奮する。オナニーしたい。違う、そうじゃない。

 はっきり申し上げて、現在スランプに陥っている。練習を始めてから2ヶ月、才能を持たない人は何をやっても駄目、というところをしみじみ感じ始めている。
 まあ、記念受験みたいなもんで、結果はどうでもいい、と開き直ってもいいだろう。昔、電波少年でとんでもないアホを東大に合格させる企画があったが、センターで足切りすら超えられず、結局日大に合格させて終わりというのがあった気がする。そういうのでもいいんじゃないか。
 ただ一つ言えることは、こうしてブログの記事を書いてしまった以上、「後に引けない状態」になってしまったことだ。なかったことにはできない。というわけでミクさんのダンスComing Soon(白目)。

後に引けない状態を作る(前編)

 以前の日記で「自分を窮地に立たせる」話をしたが、何も僕はあの記事を受験時代を懐かしむために書いたのではない。もちろん受験生時代に戻りたいという気持ちもあるし、あの頃は楽しかったというのは事実なのだが、合格か不合格かというプレッシャーと常に戦い続けてきたわけなのだから、そのストレスはある意味社会人を超えうる。前回の記事は今回の記事のマクラ、前座である。すなわち、僕はここに新たに自分を窮地に立たせる状況を作りたい。

 話は2ヶ月前にまで遡る。Twitterをご覧の皆様はすでにご存知かと思われるが、先日着ぐるみで、岡山さんより新たに初音ミクさんを迎えた。世界のアイドルたるミクさんをこんな僕がやることに、興奮と不安を隠せない状況であるが、造形師岡山さんに言われた。「ミクさんは科学の限界を超えてきたのに、くっしーさんは自分の限界を超えなくていいんですか」(※この部分には誇張があります)。そう言って差し出してきたのは、小倉唯が振付をしたあのダンスをトレースしたMMDの動画である。ははーん。

 僕はダンスというのは非常に苦手であると認識している。僕は、基本的に人の動作をよく観察し、それを真似するという能力に欠けているらしく、それで会社で目の前でやってもらったことが、自分でうまくできないなどして呆れられている。ダンスはそのような繊細な動作の集大成である。そんな僕がダンスなんかできるわけがなかろう。小倉唯の動画を見るが、かなり難しそうである。

 一蹴することはかんたんであるが、一方で僕は僕の血が騒ぐのに気がついた。ウリナリ!!で、ウッチャンが「YELLOW YELLOW HAPPY」のキーボードソロを必死で練習していたことを思い出した。思い返してみれば、僕はできないことはやらない人間だった。あのときのウッチャンのように何かを成し遂げたいという願望が湧いた。

 一方で事態の深刻さを全く理解していないのが、僕の師匠であるよっきーさんである。よっきーさんは、「面白そう! 3日後に動画撮るからくっしーくんよろしくね!」。よっきーさんにかかれば、リニア新幹線も半年くらいで東京から大阪まで作れそうである。僕は、よっきーさんのような超人ではないので、無理だ、そもそも動画をちゃんと見たのか、と問うと、「すいません、ちゃんと見てませんでした」。これでこそ僕の師匠である。僕が適当な人間であることは、全部師匠のせいにできるのである。

 一方で、当の提案者であり、面の造形神たる岡山さんは「そんなに難しく考えなくていいですよ、気軽に楽しくやれればいいなと思ってます」などと、新興宗教の勧誘か、あるいは覚醒剤を勧めるときのような台詞を爽やかに言ってくれる。僕は「やってやろうじゃないの」などと昨今の量産型ラノベの主人公のような台詞を口にし、果たしてダンスの練習に励むことになったのである。

後半に続く(キートン山田

自分を窮地に立たせる

 よく予備校や塾などで「合格者の笑顔」などと称して、「私はこの予備校で学んだおかげで、○○大学(高校)に合格できました。△△予備校の先生方は、みんなユニークで面白くて、授業も楽しく……」などと書かせるやつがあるじゃないですか。僕もご多分に漏れず、中学時代に通っていた塾と、浪人時代に通っていた予備校とでそれを書かされたはずなのだが、何を書いたのかあまりよく覚えていない。

 ただ、中学では、塾の合格実績稼ぎのためにコネで関西の有名私立高校に合格させてもらったにも関わらず、そこを蹴って(賢明な行為だったと思っているが)公立高校に行ったので、恩を仇で返したところがあり、ややわだかまりを残しての卒塾となった。「勉強ができること、いい学校に行くことが人間としての成功を意味するわけではない」という教育を親にしこたま受け続けていた。妹は、これまたなかなかのアホだったので、彼女とのバランスを取るためだったのかもしれないが、まあ結果としていい高校に行くことに自分の中で嫌悪感が生まれてしまい、その有名私立高校を自分の意志で蹴るに至ったのだ。それでも地元で一番の公立高校に行った。無双できたかというとそうでもなく、まあでも上の中くらいの成績ではあったと思う。

 それは結構なのだが、学年で10本の指に入るほどではなかったにも関わらず、驕り高ぶった僕は、身の程を弁えずに現役のときに果敢に京大にアタックして散ったのだが、あとで蓋を開けてみると、そこまでトンチンカンな成績でもなく、むしろあともう一歩か二歩くらいのところで滑っていた。しかし、不合格は不合格。高校に「京大滑りましたてへぺろ」という報告をしに行ったわけだが、不合格という現実を前に何を思ったのか、僕はその出身高校にある文章を寄稿したのである。

 それは、「不合格者の泣き顔」。合格者の笑顔のパロディを載せてほしいと先生に頼み込んで、これにノッてくれた先生がそれならということで、合格者の笑顔の最後に載せてくれたのである。「現役生はマジで受験寸前まで成績が伸びるから諦めないでほしいけど、それが合格のラインに到達するかは分からない。だから、現役生は受験直前まで石にかじりついて歯が砕けるまで勉強してほしい。合格の保証はできないけど報われるから」というような内容だったと思う。興奮した状態で書いたので、かなり支離滅裂な文章になっていたと思う。ちなみに、僕は石にかじりついていなかったから落ちたのである。さて"合格者"は、文字通り顔出しをして、ピースサインをしているのだが、僕は顔を手で覆い隠すような写真を載っけてもらったと思う。先生は演出家だった。このようなブラックジョークを受け入れてくれる高校には恐れ入ったし、何よりこのようなブラックジョークを高校にかませることができたというのは、ひとえに母校愛ゆえだろう。

 さて、僕がアホだったのは、この行為が自分にとって楔であり十字架であり足枷になりうるということに、いよいよ最後まで気づかなかったという点である。ひとはこういうのを背水の陣と呼ぶ。つまり、浪人して絶対に京大を受け、しかも落ちることができないということだ。「不合格者の泣き顔」は「I'll be back.」とセットなのである。当時の僕は、ただ単に自虐ネタに走っただけで、この文章・行為によって自分を追い込む、窮地に立たせる意図はなく、また窮地に追い込まれてるという意識すらなかった。僕は冒頭でアホだと言った妹よりアホな可能性が高い。

 Elyさんが以前TLで言っていて感心した言葉に「根拠のない自信を持て。根拠のある自信は根拠が覆されたら、もはや自信を持つことは不可能だからな」というものがあったのだが、僕は当時根拠のない自信に満ちあふれていたのだろう。結果的に京大には合格したのだから、根拠のない自信万歳である。

 一方、件の「不合格者の泣き顔」であるが、その後数年間、僕の真似をする人が何人かいたそうである。そして、その文章を寄稿した人たちは、皆翌年浪人してきちんと合格するというジンクスができたそうである。ちなみにみんな京大か阪大らしい。第一号としてちょっと誇らしい。