社会人になってから1年と少し

 僕は今なお性質の悪い冗談としてしか受け止めていないが、どうやら僕は社会人になってから、とうに一年を過ぎているらしい。配属されてからカウントしてももう一年になる。正直なところ、しっくりきていないというのが実情である。結婚願望というものを完全に捨て去り、大学院を卒業してから、人生は消化試合に入ったと信じて疑わない僕は、社会人になってしまったということは、ひょっとしたら何らかの間違いだと疑っている。明日目が覚めたら、またあの桂の坂を登り始めるのかもしれないし、なんなら吉田山の蝉の声の海を泳ぎながら、ろくに聞くつもりもない授業を聞きに行くかもしれない。あるいは、近鉄長野線に乗って、吹奏楽部の奏でる日常に揺蕩いながら、気怠い午後の風を浴びて部誌を製本しに行くかもしれない。

 僕の居場所というのは、確かにあそこにあったはずで、震災があったら崩れてしまいそうない今のビルのあの一角が居場所じゃないような気もしてる。それでも、案外日常というのはシステマティックに訪れるもので、確かにあそこに行くと、僕の席があって、なるほど僕の仕事もあって、怯えつつも、まあ頼りになる上司がいてくれて、そして口座を覗くと確かに給与が振り込まれていて、ああやっぱりここが僕の居場所になってしまったのだなあと釈然としない感情と付き合いつつも、僕は小さく生きていっているのだ。

 これは、"着ぐるみ警察"に怒られそうな話なのだが、僕が一番"居場所感"を覚えるのは、着ぐるみ界隈である。正直なところ、僕は着ぐるみについて自信がある方だと自負してる。着ぐるみ関係の活動に関して、概ね不自由なく、かなり楽しい活動をさせていただいていると思う。もちろん僕の背中を押してくれた方が与えてくれたきっかけから芽吹いたのであるが、それに加えて敬愛する師匠のおかげで、ここまで来れたことは、もはや疑う余地はない。

 ところがである。師匠であるよっきーさんなくして、僕の着ぐるみ人生は語れないなどと言っているが、僕が着ぐるみを始めてからよっきーさんに出会うまで実は9ヶ月かかっている。そして、初めて椛を着させてもらったのは、実はそれから半年後、すなわち着ぐるみを始めてから1年半後なのである。僕の着ぐるみ活動の方向性が、よっきーさんの椛で定まったことは頻繁に書いているので、改めて書くつもりはないが、強調したいのはその椛になるまで、着ぐるみを始めてから1年半もかかっているのだ。

 さっき居場所感がしっくり来ていない、と書いた会社に入って、配属されてから、まだ1年経っていないのである。たった1年である。つまり、僕はまだ椛を着たことがないのである。趣味ですら方向性が定まる機会に出会うまで1年半もかかっているのだ。だったら仕事で1年なんて、まだしっくり来ていなくて当然で、それで全然いいんじゃないか。僕はまだ椛に出会えていないのだから。こう考えると、不思議なくらい僕のざわざわした心は鎮まって、「ああ、まあ、こんなもんなら及第点じゃないの」と思えるようになった。別にブラックな会社というわけでもなさそうなので、「まずは三年」という言葉を馬鹿正直に受け止めて、このしっくり来ない日常を受け入れて、機が熟すのを待つというのがなんだかんだで一番賢い選択なのではなかろうか。

仕事の話は誰にも望まれない

 これは僕の持論なのだが、ニコ動にコメントをする頻度というのは年齢に反比例する。それこそ浪人生や大学一二回生の頃は、一本の動画に10個や20個もコメントをすることは少なくなかった。それも「wwwww」や「すげえw」、「吹いたw」、「アホやろw」などという内容の薄い賑やかしのようなコメントである。ところが、研究室に入った頃から、ニコ動を見る頻度も激減。社会人になってからはさらに減った。ただ、それよりも目に見えて減ったのが、「コメントをする頻度」である。億劫なのだ。コメント欄にカーソルをフォーカスさせて、何らかの文字を打つという行為が。言ってることはもはや鬱病患者のそれのようだが、たぶん鬱病患者じゃなくてもコメントの頻度が減ったという社会人は僕だけではないと思う。要するに、脳みそが社会人ナイズされて、だんだんそういう"若さ"みたいなものがなくなっていくのである。慣れない仕事に身を置いて、水に打たれる石のように、少しずつすり減っていくのだろう。

 

 とかく仕事の話というのは、赤の他人に話しにくいものである。学校の先生のようにドラマに満ち溢れた話題があるわけでもなく、大学の研究室のプライベートと地続きになっていて面白い話題があるわけでもない。真面目な話題か、さもなくば辛い話題か理不尽な話題しかない。仕事の話を他人に話すときなんて、それこそうつ病のSOSくらいである。あるいは上司や仕事の愚痴か。幸いなことに、うちの職場は確かにいい人が多いので、あえて愚痴を言わなければならないことも少ない。真面目な話を他人にしようとしたら、まず前提や背景の説明にエネルギーを消費する。挙句、話している最中に、自分の話していることが要領を得ていないことに気づいて、「そりゃ上司もイライラするわ」と自責モードになることも珍しくなかろう。かといって同期に話すのも嫌である。特段、利害関係があるわけでもない(別に競争の激しい会社でもないし)が、中途半端に当事者なせいで、生々しいのである。あるいは、虚勢や見栄を張りたくなって、テクニカルな話題以外は仕事の話なんてしたくなくなってくるのである。

 

 かと言って、全くの第三者、着ぐるみ界隈の人に話すことでもない。天満の安居酒屋で望まれている話題が、僕の仕事の話題でないことなんて百も承知である。。むつふさくんも社会人なのだが、彼もまた仕事の話は殆どしない。どざいさんに、僕らの職場での話題を話したところで、彼は右上の虚空を見つめ、自殺へのカウントダウンを始めるだけだろうし、金麦がまずい酒だという事実を直視せざるを得なくなる。それはサントリーに失礼だ。よっきーさんに話すと、きっとよっきーさんは僕のことをすごく励ましてくれるだろうし、認めてくれるだろうと思う。たぶんよっきーさんは来年のノーベル平和賞を狙っているんだと思う。そして、よっきーさんの職場の話を聞くと、あまりに理不尽すぎて、聞いてる側が憤死してしまうようなエピソードのオンパレードで、むしろこっちが逆に、甘えたこと言ってすみませんでしたと土下座したくなるのがオチである。

 

 結局、まあ、仕事の話というのは、特に誰に話されるわけでもなく、人々の心のなかで灰色に塗りつぶされて、そっと放置されているのだ。

着ぐるみさんにキスはいつからするようになったのか

 本日は、お題箱に投げられていたこちらのお題から。すっかり忘れ去られていただろうと思っていて、もっぱら自分のネタ帳として利用していたお題箱に、まさかお題を入れてくれる方がいるとは。ありがたい話である。

 

 さて、着ぐるみさんにキスの話であるが、実を言うと、これは僕が美少女着ぐるみという業界の門戸を叩いたときまで遡ることができる。僕がまだ幼気な少年だった頃、「死ぬまでに一度は着ぐるみを見てみたい、あわよくば着てみたい」などとTwitterで言っていた僕に、なんと声をかけてくれた方がいたのである。今でこそ、こういう行為は忌避されるところであるが、当時はそんな僕にも声をかけてくれる人がいて、今よりも牧歌的な時代でもあったのだ。

 

 その方との邂逅は、宅オフでサシオフだった。今考えてみると相当のVIP待遇である。その方と1時間か2時間ばかしの世間話のあと、別室で着替えてきて――"召喚"してくれたのである。ストリートフェスタなどで遠目で見たことはあれど、独占的な形でこんなに身近に着ぐるみを見れるという機会を設けてもらった僕は、それはもう初心者全開で、照れまくって目は合わせられないしどろもどろという初心な醜態を曝してしまったようである。それに気を良くしてなのか面白がってなのかは定かではないが、思考回路ショート寸前の僕に、あろうことかその着ぐるみさんは、僕にキスしてくれたのである。

 

 今でこそ「はぁ……中の人は男性……」などというフレーズを手垢のついたように使っているが、当時はまだ性別の転倒という着ぐるみの原始的な魅力をうちに秘めて感じていた。「あ……僕、やばい今、目の前の美少女にキスされた……でも、ああ……、、その美少女の中に入っているのは男性なんだよな? ああー、今僕もう戻れない橋を渡っている……」。頭の中と目の前はぐるぐる。着ぐるみの不思議な魅力に取り憑かれ、今思うと、この時点で僕のカルマには逃れられない楔が打ち込まれた気がする。

 

 というわけで、僕にとって着ぐるみにキスをするということは、僕に着ぐるみのいろはを教えてくれた時点で、刻み込まれたことだったので、殊更着ぐるみさんにキスをすることは、特に業が深いだとかそういう印象は抱いていない。むしろ最も原始的な愛情表現だと思うし、もっと言えば股間のおさわりだとかなんだとかする前に、そういう愛撫表現があって然るべきだろうとさえ思っている。

 

 僕にとって着ぐるみさんにキスをするということは、おそらFRPの"味"をしめたときから、不可分だった。それが証拠に僕にまだあやめ面しかいなかった時代ですら、他人に着せたときによくキスをしていたことを覚えている。普段は無機質で冷たいFRPの素材の温度であるが、中に人が入ることで吐息で内部温度が上昇し、キスをするとちょうど人肌のような温度になっているのが分かるのが好きだった。

 

 今では僕が中の人で、僕の着る着ぐるみさんを見て照れているのが嬉しくて面白くて、僕が最初にそうされたように自分からキスをすることもある。フェチシズムと業の再生産である。生殖活動を全否定し、少子化に加担する日本国民の敵のような行為をしているのである。

 

 なお、何をとち狂ったのか、ここ最近僕の師匠は、もはや着ぐるみなしで、素の状態でキスをしてくるようになってきてしまったが、それはまた別のお話。
 

大人の修学旅行

 先日、けろさんの企画で、京都の方で一泊二日のロケ企画に参加してきた。なかなかこの企画が苛酷で、かなり上級者向けの構成となっている。

 

 その仔細はこうである。1日目は終日京都の梅小路公園でロケである。春の梅小路公園と言えば、地元の花見観光客でかなり賑やかなことになっている。また、子供たちも多いので、かなりガヤガヤとしている。そんな中に着ぐるみさんを投入したらどうなるか。ピラニアのように子どもたちに囲まれて、一緒に遊ぶことになる。はっきり言ってかなり楽しい*1


 その後、車に分乗し宿にチェックインしたあと、上賀茂のバイキングで夕食、みんなで銭湯に入って宿に戻ってきて宴会という具合である。移動や荷物の積み込みに時間がかかることもあり、宿に戻ってきた頃には23時過ぎになっていた。そしてさらにそこから宴会が始まるのである。僕自身はそこそこに切り上げてきたのだが、それでも就寝したのは2時近くになっていた。

 

 翌朝の起床時間は、なんと6時。睡眠時間は4時間なのである。鉛のように重い体*2に鞭を打ち、肌タイを着て着ぐるみになる男性である。僕よりもさらに遅い時間まで起きていた人たちも多数いたであろうにもかかわらず、ほぼ全員が早朝ロケに参加したのである。睡眠時間4時間で起床30分後には、もう着ぐるみを着ているのである。そして早朝ロケと称して、嵯峨の竹林の小径で撮影をしたのである。宿からその竹林の小径へも1km近くあり、着ぐるみを着て移動するにはまあまあの距離である。おまけに、竹林の小径は勾配がきついのである。竹林の小径は朝7時前であるにも関わらず、韓国人が数十人おり、結婚式の写真の撮影をしていた。当然、着ぐるみ姿の我々は好奇の対象となり、多数の写真を撮られた。

 

 そのようなハードな早朝行程をこなした一行は、観光客でごった返す蹴上インクラインへ移動。こちらは昨日とうってかわり、天気も比較的よく、かなりの大盛況。おそらくグリーティングをした人数は、100人や200人では効かないだろう。とにかく前後左右360度から取り囲まれ、カメラを向けられ、一緒に写真を撮ってとせがまれたり。歩道を歩いている人からも、「こっち向いてー!」と声をかけられたり、グリーティングが追いつかない捌ききれないような状況。特に外国人が多く、外国人は日本人のように恥じらったり遠慮したりということがないので、拙い日本語で記念撮影をお願いしてくるグループが多かった(特に中国・韓国系)。もちろん快諾。日本旅行で思わぬエンカウントとして思い出に残ってくれれば、これほど嬉しいことはない。もちろん外国人だけじゃなく、日本人にも相当写真を撮られるし、特にお子さんが居たりすると、一緒に写真を撮ってもらうことも非常に多い。「サービス精神めっちゃ旺盛やん」って言われたときは、そりゃもう、僕としては、仕事ではなく完全に趣味でやっていて、グリーティングが楽しくて楽しくて仕方がないので、もう一人でも多くの人に可愛がってもらいたい、相手にしてもらいたい、楽しんでもらいたい、面白がってもらいたいの一心でやっているのだから、当然であろう。

 わざわざ混雑する観光地で着ぐるみロケをやっている理由はここにあると思っている。内輪ではなく外に向けて着ぐるみをアピールすることが目的なのだ。このあたり、グリーティングが嫌いだとか、表に着ぐるみを出すなんて、だとか、室内でしか着ぐるみ出したくないです見たくないです……みたいなアンダーグラウンドな嗜好をお持ちの方とは、たぶん永遠に相容れないんだろうなと思う*3。その点、けろさんの企画するオフは、明確に「一般人にアピールするのが目的です」と言い張っているので、僕の嗜好と合致しておりかなり楽しかった。興味を示していそうな観光客をガン無視して、内輪のサポだけに写真を撮らせるような無粋な行為は推奨されない。

 

 僕は年に数回ある着ぐるみ関係で、こういった外部に宿泊を伴うイベントというのは非常に楽しみにしている。けろさんの能登オフや、ツロシマなんかがそうである。なんというか、大人になって社会人になると、大人数で民宿に泊まったり昼間は遊び呆けたり、酒を飲んだり夜まで騒いだりという経験って、あんまりないと思う。世間でまともとされる人は、成熟したとも言えるが無味乾燥とも言える常識的な日々を送っているんだろうなあ、と思う。まあ、そういう人たちは、合コンとか街コンとかに行ったりして、出会いを求めることに躍起になっているように見える。我々のような神様に授かった生殖器を無駄にしているような人たちは、いい年こいてもこんな修学旅行や大学生のサークルみたいなノリで休みの日を過ごせているのは、現実逃避的であるが幸せなように思える。

 

 子供の頃、不思議だったのは、「親(大人)はどうやって遊んでいるんだろう」ということだった。だいたい「大人は遊ばない」と結論づけていたような気がする。それがこうしたオフに参加して遊べているのは、まあ家庭を持っていないことの証左でもあるが、やっぱり楽しい。"大人の修学旅行"、いいことだと思う。中学生や高校生の修学旅行との大きな違いは、女の子がいないことである。修学旅行の醍醐味といえば、お風呂上がりの濡れた髪の毛の女の子を観察することであった。着ぐるみクラスタではそういったときめきは感じられないのが惜しいところである。でも、着ぐるみクラスタの男性は女の子にもなれるので、いいと思う。お風呂上がりの着ぐるみさんを観察することはできないが*4。その代わりに、お風呂場で「ああ、さっきまで女の子の格好していた人が、一緒のお風呂に入っているんだなあ」と身体のラインをまじまじと観察するといいと思う。

*1:残念なことに、2017年の梅小路公園の日は、天気が雨で、ほとんど人がいない中、やや寂しいロケとなった。

*2:あまりの眠さに、眠気覚ましと称して寝ぼけたままブラックコーヒーを一気に飲み干し、ロケ途中でトイレのために僕だけ早上がりで退散という情けない一幕もあった。

*3:とはいうものの、着ぐるみの"背徳性"に惹かれた人間でもある僕としては、その感覚も分からんではない。

*4:僕の師匠は着ぐるみで風呂に入ったことがあるけどな! ガチャピンだから。

すろぉもぉしょん

 昨年の秋ごろにちょっとメンタル的にしんどかった時期があって、うつ病に近い状態に追い込まれたことがあった。理由は、社会人ブルーとでも言うべきか、とにかく職場での自分が居たたまれなくなって、誰を責めていいのか自分が悪いのか、五里霧中でゼリーでできた深海に沈められたようにとにかく藻掻いたことがあった。今はそのときに比べると随分楽になった。もちろん、今も決して楽観できているわけじゃないが。

 

 以前とある場所に、僕が苦しい気分になる人がいて、その人と話すとしばしば僕の精神の安寧が乱れていたのだが、その人がいないときに、他の人が「あの人なー、いつもあんな感じやよなあ」と言ってるのを小耳に挟んだのである。どうやら僕の精神の安寧が乱されていたのは、僕の器の問題だけでなく、その人の問題でもあったらしい。だが、その一方で「でも、昔に比べたら本当に丸くなったんよ。まるで別人」とも言われていたのである。数年前は風雲児のようなスタイルで活動していた方だったのだが、今でこそ集団の中心人物として重要な役割を演じているのだから、人間というのは不思議なものである。

 

 さて、そんな時期に出会った曲にピノキオPの「すろぉもぉしょん」がある。チュウニズムやmaimaiにも入っており、今やピノキオPを代表する曲の一つにもなっている。熱に浮かされた少女が、自分の半生を振り返りつつ、長い人生、人というのはゆっくり変わっていくのだから、そんなに悲観することはない、たぶん、という趣旨の曲である。その中には次のような歌詞がある。

十代 ドヤ顔で悟った人
二十代 恥に気づいた人
三十代 身の丈知った人
そのどれもが全部 同じ人

まさにそれだった。人というのは、長い時間をかけてゆっくりと変わっていくのだろう。そして、何年も前とは全く違う人のように振る舞っているように見えるのだ。このような歌詞を書けてしまうピノキオPは一体いくつなんだろうか。

 

 笹松氏が以前提唱した微分可能という概念にも似たところがある。明日というのは今日の続きにあるもので、人生というのは微分可能である。ゆえに明日の朝目が覚めたら隣に裸の姉ちゃんがいて一緒に寝ているというような、人生という関数が"微分不可能"な振る舞いをすることは決してありえないという主張である。相変わらず例として挙げられている事象が笹松節全開で分かりにくいが、笹松氏の意味するところは、人生(人間)とは、微分可能ですろぉもぉしょんな振る舞いをするのだ。

 

 さらに、すろぉもぉしょんの歌詞ではあまりにも深く共感するところがある。

のらりくらりのたうちまわり
じわりじわり 見覚えのない場所に

 ああ、まさに僕だと思った。僕は、ざっくり言うと、自分の人生を懸命に生きてきたという自負は全くない。幾分真面目には過ごしてたのかもしれないが、基本的にはのんべんだらり、水のように低きに流れることを好んで生きてきた。のらりくらりと
生きてきた。でも、多分のたうち回ってたんだと思う。少なくとも留年もせずに京大を出たんだから、世間的には気楽ではない方の歩き方をしてきたのだろう。そうしてるうちに、研究室に配属され、からくり時計のような人間に翻弄されながら、ここまでやってきた。なんだかんだで知らない会社に入った。気がついたら、見覚えのない場所で一年も自分の生涯を塗りつぶしていた。

 

 今、僕はそんな見覚えのない場所で、のたうち回ってる。でも、会社は基本的にホワイトだ。悪い人間もあまりいない環境である。のらりくらりしてるように見えるに違いない。それでも少し苦しい。毎日の解像度がちょっと低い。コントラストが僅かに鈍い。若干不安だ。恥ずかしい。

 けれども、「すろぉもぉしょん」の最後の歌詞は、僕にこう言ってくれる。

 

 恥の多い生涯なんて珍しいもんじゃないし、大丈夫だよ

歌詞中ではいったい何が問題で、何が大丈夫なのかさっぱり言及していないのだが、あまりにもこの歌詞は僕に直截的に響くのだった。ピノキオPがそういうんだから、大丈夫なんだろう。たぶん。

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スマホをわやにした話

 本日のお題箱。今日はauのあんしんケータイサポートってすごいんだよ、という話をしたい。

 

 昨年になるが、スマホを2回壊した。初めて携帯を持ってからもう10年以上が経過するが、今まで、自分の過失でスマホや携帯を壊したことは一度もなかった。修理に出したのは3回で、1回目はW51CAのバイブレーションが鳴らなくなって、2回目はモトローラPHOTONでなんか知らんけど勝手に起動しなくなって、3回目はLG G2でタッチパネルの不良だった。いずれも使用者の責めはなく、自然故障であった。だが、去年は2回も壊してしまったのである。

 

 1回目は、和歌山の加太であったコスプレイベントであった。このときは、プールで撮影ができるとのことで、ちょうどスクール水着を持っていたため、文と椛でプールに飛び込んだのだ。なお、着ぐるみで水没したのは、このときが僕は初めてになる。
 せっかくなので水中撮影がしてみたいということになったのだが、あいにく防水カメラを持ち合わせていない。が、Xperiaは一応防水だし、簡易水中カメラとして使えるんじゃね? と提案し、サポの人に僕のスマホを渡して、撮影をお願いしてみた。

 

 実際Xperiaを簡易防水カメラにしているのは見たことがあった。なので、いけるだろうと思っていた。サポの人はやや躊躇していたが、僕が「一思いにやってくれ」と頼んだために、本当にひと思いにじゃぶんと浸けてくれた。実際水中撮影をするなら、スマホを上下逆にして、レンズの部分のみ水につければ水中は撮れるのだが、彼は大胆な人間だった。

 

 水没させた直後は健全だったが、動作が一時挙動不審になったので再起動してみた。そこからどうなったかはお察しのとおりである。

 スマホが水没したときにやってはいけないことは、振る、電源を入れ直すである。漏れなくこれらの仕打ちを受けた僕のスマホは、その後の乾燥剤による緊急治療も虚しく、ご臨終となった。ちなみに、スマホは水没すると断末魔の叫びとして、電源を落としているのにも関わらず、バイブが鳴り続けるという現象が起きるらしく、起動もしないくせにいっちょ前にバイブだけは鳴らしやがってうるさかった。

 

 それから家に帰り、auショップに行こうとしたが、まさかの臨時休業。途方に暮れた僕は、ネットで調べ、あんしんケータイサポートとやらに入っていると、5000円程度でスマホのリフレッシュ品を送ってくれることが分かった。それも実店舗に行かず、ネットで注文するだけである。これはいい。代機を借りて2週間不自由な思いをするよりも、さっさと新品をよこしてくれた方がいいに決まってる。注文したら翌日にはもう配送してくれるようだ。電話番号を入力する欄があったが、そんなものスマホが壊れてるんだから通じないに決まってる。もはや意味をなさない電話番号を入力し、リフレッシュ品を発注。リフレッシュ品とは中身は中古だが、ガワは新品というシロモノらしい。やや不安感はあるものの、今使ってる(使っていた)携帯も考えようによっては、自分が今まで使ってきたんだから中古と言えるだろう。

 

 さて、発注して翌日にはスマホは届いた。水没したスマホは、専用の封筒に入れてポストに投函するといいらしい。手続きが簡素で助かる。開通の手続きも同封されている栞の通りにやればよい。難なく新しいスマホを手に入れることに成功した。

 

 それで終わりだったら、めでたしめでたしという展開だったのだが、実はこの僅か2-3週間後に再びスマホを壊すことになってしまった。
 会社帰りに自転車に乗りながらingressをしていたときである。僕は、自転車でingressをするときは、ハンドルにミノウラのスマホホルダーを取り付けて、それにスキャナーをセットしてやっているのだが、下の部分が貧弱な作りになっていて、きちんとセットされない場合があり、ごく稀にスキャナーがスマホホルダーから滑り落ちることがある。
 それまでは落としても側面などに僅かに傷がいくだけで、ほぼ無傷だったので、Xperiaすげーと思っていたのだが、今にして思うと実にアホな話である。会社で言うなら、ヒヤリハットに相当するインシデントで、すぐさま何らかの対策を講じるべきだったのである。

 

 その日、僕はいつものように自転車でingressをやっていたのだが、段差に差し掛かった瞬間、南無三! 僕のスキャナは落下したのである。考えてみれば東大阪市は金がないのか歩道の整備が非常に遅れていて、あちらこちらで段差が目立つ。普通に漕いでるだけでガタガタ揺れ、卵を買った日には家に帰る頃には半数が割れていたという惨事に遭ったこともある。
 落とした直後も僕は冷静で、まあ言うていけるやろと思っていたのである。ところが、マーフィの法則のごとく、画面側を下にしてスキャナは落ちていたので、拾い上げてみると、あ……。蜘蛛の巣のようになっていたわけではないが、一本の亀裂が。まあ、一本亀裂が入るだけなら最悪使えるし……と思っていたが、なんと割れた部分を境にして、画面のタッチパネルが反応しないのである。AndroidiPhoneとは違い、画面が割れると、タッチパネルが反応しなくなる領域ができる場合が多い。なるほど、iPhone使いのタッチパネルがたいてい割れてるのは、ジョブズ流のお洒落ではなく、「あれで一応は使えてしまうから」(Androidは使用できなくなってしまう)らしい。ははーん。

 

 早速帰ってから、またあんしんサポートを利用して新しいスマホを発注。一応一年につき2回までは、このサービスを利用可能である。がっつり毎月払ってる保険料の324円の元を取った形である。スマホなんて水没させて割ってなんぼのものである。がはは。

 というわけで、あと半年間は絶対にスマホを水没させたり割ったりしてはいけない身体になりました。よろしくお願いします。

着ぐるみ界隈初参加イベント(見る側のみor着ての、の2例)について

  本日はお題箱から。
 お題箱というのは、笹松氏もやってるもので、匿名でブログなどの筆者に"お題"を投げることができるツールである。ask.fmの雑なやつバージョンといったところか。気軽に匿名で投稿できるので、ぜひ投函してほしい。可能な限り全部答えると思う。

 

 さて、本日のお題であるが、着ぐるみで界隈で初参加のイベントである。ご丁寧にも、見る側としてと着る側としての2例と書いてあるあたり、このお題の投稿者はかなりの策士である。僕があやめ面を持っている話をさせようという強い意志を感じる。

 

 まずは見る側としての初参加。これはもう、泣く子も黙るビッグタイトル「まいどーる」である。それも、ただ一回唯一関東外で開催された大阪まいどーるである。忘れもせぬ2011年だから6年前か。はは、ご冗談を。

 折しも日本は、東日本大震災で国全体がお葬式ムードになっていた時期である。数々のイベントが自粛と称して開催中止を決定する中、よく開催してくれたものだと思う。

 

 この頃僕はTwitterで、KUクラスタとしてブイブイ言わせていた頃で、その一方で、自身がいわゆる美少女着ぐるみ好きであるとおずおずと表明していた時期でもあった。それを拾ってくれたのがめっきょんさんであった。ちょうど大阪の北千里で着ぐるみのイベントがあるから、ぜひ来てみてよ、と誘われたのである。

 ちなみに、まいどーるが開催される2週間ほど前にサシで宅オフをさせてもらったのが、僕が着ぐるみさんを間近に見る最初の機会だった。

 

 大阪まいどーるは北千里で行われた。北千里は、僕が高校生の頃、阪大の工学部に行くのに使ったことがある駅だ。まさか数年後、僕がその駅を利用することになるとは夢にも思わなかっただろう。


 兎にも角にも、僕はおっかなびっくりでまいどーるに参加。知り合いはめっきょんさんを唯一知っているのみであり、非常に孤独で心細く、と同時に高揚していただろう。経歴が7年目にも突入しようともなると、そういった機会はそんなにない。まさに絵に描いたような初心者、いや入門者である。今このブログを書いていて思うが、誰しもそんな時期はあったのだなあと思うと、感慨深いものである。

 

 大きな荷物を持った男性がたくさん並んでいた。ああ、彼らがこれから着ぐるみを着て"女の子"になるんだ、と思うと、興奮するような残念なような気持ちになった。今でこそ、「はぁ……中の人は男性……」などと言っているが、当時はやはり溢れんばかりの現実を突きつけられたじろいでいたのは事実だった。

 程なくして数多くの着ぐるみさんが出てきて、僕はなおさら混乱した。この世の天国のような地獄のような光景に、僕は脳の処理能力が限界を超えるのを感じた。明晰夢だと思ったら現実だったとでも言うべき困惑である。


 いんたーねっとでしか見たことのなかった着ぐるみさんが、今目の前にたくさんいる。女優や俳優がたくさんいるドラマの撮影現場に居合わせたかのようだ。特に、当時僕の中でレジェンド級だったなつき先生を目の当たりにできたとき、現実と虚構の境界はどこにあるのかという哲学的な問いを僕に投げかけた。画面の向こう側でしか見られなかった"美少女"(中の人は男性)が、"2次元"のまま目の前にいるのだ。これでどうして冷静でいられようか。

 

 当時僕がまいどーるの開催時間中どう過ごしていたのか、それはもはや忘れてしまったが、いくつかの僕が撮った画素数の低い写真が、実家から持って来られたぼろぼろのデジカメで何枚か写真を撮っていたことを語っている。


 なお、僕が当時どれだけ高ぶってしまったかを語る逸話として、「募金箱に1万円札を突っ込んだ」というのがある。東日本大震災から間の空いてなかった大阪まいどーるでは、東日本大震災への義援金を募っていた。僕は、東北の復興への思いに加えて、今後の美少女着ぐるみに対する夢と希望、発展を願い、万札を突っ込んだのだ。大阪まいどーるで募った義援金には万券が2枚入っていたようだが、1枚は僕である。

 

 こうして振り返ってみると、今の僕にとって着ぐるみを着ることは、現実でありもはや日常と言っても過言ではないのだが、当時の僕にとって、まだまだ近寄りがたく"虚構"の世界だったんだろうなあと思う。

 

 見る側としての初参加をあまりに語りすぎてしまったため、着る側としての初参加イベントを語るには、この余白は狭すぎるようになってしまった。よく見たら、お題はorか、andじゃないんだな、よかった。