サンタクロース

 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことは、たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも、俺がいつまでサンタなんていう想像上の赤服おじいさんを信じていたかというと俺は確信をもって言えるが、最初から信じてなどいなかった。

 有名な「涼宮ハルヒの憂鬱」の出だしです。ハルヒの文体というのは、感受性の豊かな若かりし高校生にはいささか琴線に触れるものがあって、ハルヒ(というかキョン)の世界観に引き込まれるには、十分なものでした。

 

 実際のところ、僕はサンタクロースをいつまで信じていたのかというと、比較的遅い方で、小学校の中学年か高学年くらいまで信じていたような気がします。冷静に考えて、夜寝ている間に知らないおじさんがやってきて枕元に自分のほしいものを置いてくれるだなんて、方法も動機も不明すぎます。よくもまあそんな不思議なことを信じられていたなあ、だなんて思いますが、それは日本国内全土を上げた「釣り」をしているから成し得た業なのだろうと思います。騙すほうが本気になれば、意外と人は騙されてしまうのです。たとえば、仕事なんて、日銭を稼ぐための手段に過ぎないのに、どこぞの誰かがやりがいだのなんだのという虚像にすぎないものをあたかも実在するかのように本気で騙し始めた結果、「仕事=美徳」などというありもしない方程式に我々は騙されざるを得なくなってしまったのです。

 

 話が逸れました。サンタクロースの話から、仕事の話になってしまうなんて疲れているんでしょうかね。"サンタクロース"からもらったもので一番高価だったのは、天体望遠鏡でした。僕にとっては夢とときめきを膨らませるには十分だったのですが、実際、使った回数はほんの数回にしか満たず、父親としてもちょっと後悔している部分があったのかもしれません。ヘールボップ彗星*1を観察したことは覚えています。逆に一番安価だったのは、漫画本一冊でした。僕がサンタクロースの存在を疑う契機になったのは言うまでもありません。

 

 大人になってしまったので、僕にはもうサンタクロースは来ません。子供ができたら、今度は自分がサンタクロースになるのかもしれません。が、結婚する可能性は希薄なので、当面その心配はいりません。しかし、サンタコスを着ることはあります。やっぱり、着ぐるみクラスタとしては、なんだかんだその時期になると、彼女もいないのに浮つき始め、ミニスカサンタになりたがるのです。彼女がいないので、自分がミニスカサンタになります。むしろ、彼女がいてもミニスカサンタになりたいです。

f:id:pakila:20160713230143j:plain

図1 ミニスカサンタの衣装を着たがる男性。

 

 ブログのタイトルをしりとり縛りにしていたら、期せずして超絶季節外れの記事になりましたね。

*1:1997年に地球に接近した彗星。-1等級まで輝いた記録があるという。