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浪人

 僕は、現役時代勢いで京都大学を受験しましたが、結局失敗。浪人する道を選びました。詳しくはまあそのうち話すかもしれないし、話さないかもしれませんが、まあ僕は京大を受験せざるを得ない状況になっていまして、そのうえプライドが邪魔して、中期*1は受けない、私立*2は蹴る、後期は全然すべり止めじゃないところ*3を受けまして、浪人しました。ここだけの話、12 月や 1 月ごろは、京大は無理だろうと自分でも思っていました。ほとんど記念受験に近く、合格最低点を 100 点近く下回るというような悲観的な予想も立てていました。結果蓋を開けてみれば、15点ほど足りないという「いい線まで行ってる」という感じでした。やはり現役生直前成績急上昇説は正しかったことを証明する形になりました。もちろん浪人したからと言って次の年に受かる保証なんてどこにもないですが、当時の僕というのは、今の僕よりもずっとオプティミストで、堂々と浪人したのでした。挙句、母校愛に溢れていた僕は、高校に「合格者の笑顔」のパロディ「不合格者の泣き顔」を提出し、「これを載せて後輩を鼓舞してくれ」と言う、ロックなことをしたものでした*4

 

 で、浪人するのに選んだのは、駿台でした。河合塾質実剛健だが、文系向けのイメージ。代ゼミは、すこぶる評判が悪く、高校の先生は「動物園みたいな雰囲気が好きなら代ゼミはおすすめ」と皮肉られる始末でした。どこから、僕が受験生だという情報を仕入れたのか知らないが、その年の 3 月には、大手予備校から無名予備校まで、ひっきりなしに予備校の勧誘のはがきが送られてきました。一時期、ECC 予備校*5にも気持ちが傾きましたが、結局プライドで駿台に行きました。

 

 駿台がいい予備校だったか、悪い予備校だったか、その判断はつきかねますが、まあそれなりに分かりやすく楽しい先生もいたし、なんだかんだで最終的には合格したのだし、悪くないという判断を下すのが適切なのかもしれません。しかし、今でこそ、社会人になって暗澹とした生活を送っていますが、冷静に考えて、浪人時代のほうが今よりずっと不健全な生活を送っていたと思います。あのですね、「健全」「不健全」って、変態がどうとか着ぐるみさんがどうとかそういう話じゃありませんので念のため。予備校は、どういう場所かというと、「学校」からありとあらゆる"遊び""余暇""余裕"を差っ引いたものだと思ってください。すし詰めのぎっしりと立ち並ぶ机で、養鶏場のブロイラーのように身動きの取れない状況で、朝から晩まで延々と受験に関する科目の講義を聞き続けるのです。150 人はあろうかというと大教室で、生徒と先生は対話することもなく、工場で水耕栽培される野菜のような顔をして、鉛筆とノートを使って、毎日を過去に押しやっていくのです。

 

 ついに友達は一人もできませんでした。

 そして、友達がいなくてもなんの不自由もありませんでした。それが予備校という場所なのです。

 日々の楽しみは、電車の行き帰りにガラケーで見る mixi (当時赤字中毒*6だった。)と、1 ヶ月に 1 回くらい行くヒトカラ*7と、高校の先輩や同じく浪人している友人との会合くらいしかありませんでした。

 それを考えると、今の社会人生活のほうが、よっぽど健全な気がするのです。それなのに、こんな暗澹とした気分になるのは、年齢とか長期的な不安感とかが精神を支配しているからなのかなあ。

*1:大阪府立大学工学部。おそらく当時の僕の実力でも合格したと考えられる。

*2:同志社大学

*3:大阪大学

*4:僕の後輩の年から、これを真似する人が出てきて、しかもそれをやった生徒は翌年志望校に合格するという"ジンクス"までできたらしい。

*5:学費が、駿台の 3 分の 1 程度だったので、かなり心は動かされた。浪人時だの学費は親に返す約束だった。

*6:「新着コメントが1件あります!」と赤文字で表示される

*7:高校時代はジャンカラで、当時 DAM しかなかった。ボカロ楽曲は専ら JOYSOUND にしかないというような状況だった。シダックス千日前には JOY があり、ボカロに絶賛はまっていた僕にとって、JOY のあるシダックスはプレミア感の溢れる場所だった。また、今でもその記憶が根強いのでカラオケは JOY 派。