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運動会

 酒です。社会人の救いは、金、着ぐるみ、酒です。そんなに飲めないんですけど、それでも救いになりうるのだから、お酒が偉大なのか社会人であることが闇なのか、そのどちらか、あるいは両方です。例によって今日もお酒を飲みながらブログを書いています。

 さて、運動会の季節*1ですね。運動会というのは青春を象徴するに十分な言葉です。お金にしか希望を見出さなくなった社会人にとって、僕の精神を抉るのには十分なような気もしますが、幸いというべきか、僕は運動会というのはむしろ嫌いなイベントだったので、僕の HP はそんなに減りません。よかった。そう考えると、社会人の救いの一つに運動会がないことを挙げてもいいかもしれません。

 

 もともと体を動かすのが嫌いだった僕にとって、運動会というのはわりとクソなイベントでした。なんせ運動会の 1 ヶ月前になると、嫌いな体育の授業が毎日あるようになるからです。いやいや、なくなった算数や理科の時間はどこに行ったんだよ。基本的に小学校という世界は、座学よりも体育が少なからず重視される場所でした。しかも、みんな当然の認識として体育は楽しいものと来ている。そんなわけあるか。僕みたいな体育を苦痛として捉える人種は肩身の狭い思いをしていました。Twitter では、そういう人種がたくさんいるので、ああ、体育が嫌いな人間は僕だけじゃなかったんだ、とすごく安心できます。ネットがなければ我々のような人種はどれだけ孤独な思いをしていたか。ネットがなければ着ぐるみに性的興奮を覚える人たちの存在にも気づけず、ただ岩の下のダンゴムシのようにじめじめと自身の異常性癖と独り向き合うしかなかったのでしょう。世間では僕(ら)は孤独です。

 

 閑話休題。小学校のころの運動会というのは、それはもう綿密な練習を重ねて行われるもので、入場の行進から、プログラムの進行から、徒競走、玉入れ競争、まあなにからなにまで飽きるまで練習を繰り返すのです。特に入場の行進の練習なんて、今思うと「プチ徴兵制」なんじゃないかとさえ考えられます。当時はそんなこと思いませんでしたし、むしろ中学や高校の運動会の練習のザルなことに驚きましたけどね。

 

 まあ運動会の話題なので、組み体操の話をしようかと思ったのですが、それはまたの機会に譲ります。

 小学校 2 年の運動会の競技で「ダルマでGO!」という変なのがありました。これは男女がペアになって、片方がだるまの被り物を被って数十メートル先まで走り、ここでだるまの被り物を被るほうをチェンジして、走ってきた道を帰ってきて、次の人にバトンタッチするというリレー形式の競技なのです。これがまたいちおうその被り物みたいなものに穴は開いているのですが、走っているうちに視界がずれてきてまともに前が見えなくなってしまうので、相方に手を繋いでもらわないとまっすぐ走れないという代物でした。僕の言いたいことは、賢明な読者の皆様ならもう容易に想像ついていると思いますので、これ以上の記述は蛇足以外の何者でもないでしょう、ということで今日のブログを終わります。あとはご自由にしてください。

*1:高校のときは体育祭という名前で、春にやっていた。ここでは小中学校の運動会。