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クスノキ

 今年のNF*1はなんとあのニコテラ *2がステージから落選してしまったようで、クスノキ*3の前で例年やっている「踊ってみた」をやるそうです。いやはや、ニコニコ動画自体が斜陽化していて(現に僕もほとんど見ていない)、年々ニコテラのネタが分かんなくなってきているとはいえ、それでも腐っても鯛で、あれはNFの風物詩だと思っていました。吉田を後にして4年目。遠い京の街で行われているイベントとはいえ、やはり僕の骨となり血となっているものの一つは京都大学のあの吉田キャンパスであることは間違いないでしょう。半ばオフ会のような学祭の最後のトリを飾るのは、ステージのニコテラだと思っていました。あれ、落選とかあるんですね。社畜と化した僕は、見事にNFの時期に土日出勤を入れられ、行くことすらできなくなってしまいました。

 

 さて、クスノキというのは京大生にとっては、やはりシンボルでしょう。キャンパスライフなどという想像上の産物でしかないものを思い浮かべるほどエネルギー準位が高かった時期には、クスノキの下で友人とお弁当を広げながら談笑するような様子を夢見たものでした。実際、本物のリア充はそのような光景を繰り広げ、我々にきらきらした何かを見せつけてくれたりもします。

 

 夕方になったりすると、有象無象のサークルがクスノキの前で、何やら楽しげに遊んでいました。あるものはダンスしたり、あるものは大縄のダブルダッチをしたり、あるものはこたつを広げ鍋をしたり。いいですね。鍋ですよ。それもクスノキの下の屋外で。火気の使用も特に禁じられていなかったか、禁じたところで誰も守らなかったのでしょう。自由の学風。自由……ああ、いい言葉ですね。射精しそうなほど素晴らしい響きを持つ言葉です。

 

 我々はあの頃自由でした。空が青いだけで、無敵になれたのでした。大気のレイリー散乱という自然現象で勝利感を得ていたのですから、よほど幸せだったか頭がお花畑だったか、さもなくばカビでも生えていたかまあそんなところでしょう。今はどうでしょう。爽やかな秋の風を肌に浴び、向かう場所はと言うと、TOKIOが建てたほうがまだマシだというほど、倒壊寸前の社屋を持つ会社で、ドブネズミのように働くしかできないのです。爽やかな秋の風は、アミン系の薬品の香りを運んできてくれ、労働の悦びを噛み締めさせてくれます。爽やかな秋の風だったらまだいい方で、今日とかクッソ寒かったからな。今頃、クスノキの下では自由な光景が広がっていることでしょう。

 

 心にいつもクスノキを。

*1:京大の学祭。November Festivalの頭文字。

*2:ニコニコダンステラミックス。ニコニコ動画にゆかりのある曲やネタでダンスを披露する有志の団体。毎回趣向を凝らしてあり、グラウンドのステージイベントのトリを務めていた。

*3:京大の正門前に鎮座する大樹。