理科

 どうも、人畜無害なブログを書き続けています。奇を衒った基地外めいた記事より、もっと日記のような朴訥とした記事を淡々と書き続けている方が好感が持てるという、裏の裏を書いたようなことを言われたこともあります。
 理科の授業は、昔から好きでした。おそらく、遺伝子的に理系なんだと思いますが、中学校の先生にも恵まれたのも大きいと思います。別に、中学校の理科の先生は、でんじろうのように面白い実験を授業で繰り広げていたわけではありません。むしろ、講義にひたすら徹していました。教科書をほとんど使わず、体系的に整理された板書を無言で黒板に書き、みんなが概ね書ききったら説明を始めるというスタイルの授業でした。当時の先生にありがちな、板書をしながら説明をするので、生徒は板書の書き写しと説明の聴講というダブルワークをする羽目になり、結局何の話だったのかよく分からないという問題が回避される斬新なやり方でした。そして、一通り説明を終えたら、簡単な練習問題を刷ったプリントを配り、一定の時間を与えて解いたあと、一人ひとり順番に当てて答えを言わせ、みんなで答え合わせをする、というスタイルでした。なお、問題を解くスピードは個人差があるので、早くできた人は他の問題を解いたり、他の科目の内職をしたりしてもOKという待遇でした。今こうして思い返しても、公立中学校の授業とは思えないほど、洗練されていて無駄がない授業でした。

 

 中1と中3のときは上述の先生のお世話になりました。中学一年のころ、「裸子植物」の「裸」という字を、ころもへんではなくしめすへんで書いてしまい、部分点ではなく、全部減点されるということに腹を立てました。先生は「国語の授業ではないので、間違えた字は減点するが平仮名だったら減点しない」というので、その言葉を真に受け、解答用紙に書く文字は、自分の名前以外はすべて平仮名、片仮名、記号、算用数字に絞るという対策を練ることで徹底抗戦しました。それで、テストの点数は常に96点以上だったのだから、なかなかエキセントリックな生徒に見えたことでしょう。中3は流石に受験もあるし、まあ大人気なかろうということで、真面目に漢字も書きましたが。

 そんなわけで理科の通知票の成績は、その先生が担当のときは、常に10段階評価の10でした。中2のときは、相性の合わない先生になり、9が付けられたことがありました。ちなみに、国語、数学、社会の三科目では、三年間を通しすべて10でした。保健体育を除くすべての科目で、最低一回は10を取ったことがあることになります(なんと、「音楽」も!)。田舎の学校だったので、井の中の蛙、お山の大将でしたが、それでも、一目置かれていたのは客観的事実としてありました。

 

 そういうわけで、僕のなんとなく理系という方向性が定まったのは、この先生の影響もあったことでしょう。そして、高校では、物理の先生に惚れ込むことになります。この先生は時々面白い実験を授業内でしてくれましたが、やはり授業にこの先生の真髄は詰まっています。まるで予備校の先生のようなどっしりとした構え方。それでいながら、予備校の先生のように自分を崇めさせようとはしない。この先生の教え方のすごい点は、どんな問題でもシステマティックに定石にまとめてしまうところ。どうやって解けばいいのだろう、ではなく、必ずこうすれば解けるという形にまとめてくれるのです。三年間で習った物理のすべての分野の公式と定石を合わせわずか6枚の紙にまとめてしまうという神業の持ち主でもあります。独創的だったり、あるいは喩えが秀逸だったり、ありとあらゆる手段を用いて、生徒を魅了していました。さらに、驚嘆すべきは、夕方に希望者講習をやってくれるのみならず、部活で出られない人のため早朝7時にも同じ講習を開講し、最近ではそれも見られない人のため、YouTubeに自分の講習を上げているという点です。公立高校ですよ?!

 

 インターネットではなにかと叩かれがちな学校の先生ですが、振り返ってみると、かなり尊敬できる先生に出会うことが多かったと思います。おそらく上記の二人は、僕の人生で会った尊敬する人ベスト10に入っています。