ブログ飽きた

 いささかキャッチーなタイトルで皆様の目を引いてしまったことにお詫び申し上げるが、このブログを続けることに、自分の中でそろそろ限界を感じ始めたのである。

 と言っても執筆意欲がなくなってしまったわけではない。むしろ今まで以上に執筆意欲は高まっている。結論から申し上げると、ブログはまだ暫くの間は続けるので安心してほしい。

 どういうことか説明しよう。僕は、このブログを始めるにあたって、いくつか自分の中で決めたルールがある。

・タイトルはしりとりで繋ぐ

・パラグラフの数は原則四つ

・「ですます調」で統一する

 

 一つずつ説明する。まず、一つ目の「タイトルはしりとりで繋ぐ」だが、過去の記事を辿ってみると分かるように、はじめの「笹松しいたけ」から始まり、延々とタイトルがしりとりで繋がっている。これは、私の過去のブログの失敗から学ばれており、私は包摂主義者なのでその日その日あったことを克明に記さなければならないという義務感に縛られる一方で、怠け者なのでブログをサボっている間にどんどん日にちが経過し、気がついたときには3ヶ月前のことを日記と称して書いているといった事態が頻発したのである。これでは元も子もないということで、「日記」に縛られないスタイルとして「お題」に対して、自分の思うことをつらつらと書くという方法を取ったのである。そこで捻りを加えて、そのお題をしりとりで繋ごうとしたのである。

 笹松恩師にむやみな縛りは自分を滅ぼすから止めたほうがいいという忠告をもらったにも関わらず無視し、頑なに1年近くしりとりをつなぎ続けてきたのである。これには理由があって、任意に「お題」を設定できるようにすると、全速力で自分の好きなことを書き続けて、そのうちネタが枯渇して燃え尽きるといった光景が予想されたからである。実際、初代(?)のどざいさんのブログが面白いと評判のまま、全速力で突っ走ってたった10回の更新で最終回を迎えたことは記憶に新しい。10回って。アニメの1クールにも満たないやん。

 確かにその試みは成功し、ある意味ではネタは枯渇することなく、1年間ブログを更新し続けることができ、むしろまだまだ秘蔵のネタがあるくらいなのだが、如何せん記事ごとの落差が激しい。着ぐるみの記事になると水を得た魚のように意気揚々と怪文書を垂れ流すことができるのだが、無難なお題の記事になると、途端に僕がホームグラウンドの関西ではなくアウェイの関東のオフ会に行ったときのような薄味の、毒にも薬にもならない人畜無害な文章を量産する羽目になったのである。人畜無害など、僕の敬愛する師匠であるよっきーさんが最も毛嫌いする世渡りの仕方であり、弟子が、失敗して買ってしまったみかんのような薄味の文章を書いているなど嘆かわしいと思っているに違いない。師匠は気違いが好きなんだ。

 もっとも僕の心配するネタの枯渇は杞憂の可能性がある。僕の以前のブログのような縛りを設けなくても、どざいさんや笹松くんのブログは面白い。特に笹松くんのブログはもう何年も前から「膣内射精」の話しか書いてない。どんな社会問題でも世間話でも、膣内射精に繋げられるのである。マンネリだろうか。仮にマンネリだったとして、誰が彼を責められよう。この期に及んで「サザエさん」がマンネリであることを批判する人などいない。我々が「サザエさん」に求めるものを考えれば、「サザエさん」があれでいい理由など明らかである。突然、笹松くんが「起業しよう」とか「素敵な同僚と上司に会えて圧倒的成長」とか言い出したところで、誰もそんなのを求めていないのである。すなわち、僕に人畜無害な文章など求められていないのである。女の子の姿をした着ぐるみさんの中にコンドームをつけた男性がむらむらしながら入っているって素敵ですよね、とかそういう話が求められているのでいる。

 

 二つ目の「パラグラフの数は原則四つ」であるが、これは当初文章の構成力を身に着けたいと、その4パラグラフで「起承転結」を付けられれば、と思って設定した縛りである。が、薄味な文章では、そばと言いつつほとんど小麦粉で繋いどるやんけというようなスカスカの文章がより引き伸ばされるだけであり、逆に自分が書きたいと思うお題では、四つのパラグラフに無理矢理収めたようとしたり、これ見た目四つやけど、実質七つあるやんけといったような歪が生じることになったのである。

 「起承転結」などとんでもない話で、一般人の与太話がそこまで綺麗にこの形に落とし込めることなどない。もちろん結に当たるオチはある程度必要だと思うが。起承転結に苦しめられるなんて、植田まさしなど4コマ漫画家だけで十分である。むしろまんがタイムきららとか、あいつら4コマを「起承転結」の形に落とし込むつもりなんてもはや毛頭ないぞ。

 

 三つ目の「『ですます』調で統一する」であるが、僕は『だである』調と『ですます』調が考えなく混同されている文章ほど頭の悪いものはないと思っている。なまじまともな教育を受け、まともな大学を出てしまった以上、たとえネットという電波展示館のような場所でもここだけは譲りたくないのだ。僕は学力が高いんだ、ということをアピールしたいのである。

 で、たまたま最初に書いた文章が「ですます」調だったので、以降「ですます」調でブログを書き続けることになったのである。が、知っての通り、僕はそこまで行儀のいい人間ではない。むしろ「ですます」調など最も使いそうにない人間である。(なるほどですね。)そもそも、僕の大事な人生を会社などというつまらない空間で浪費していて、そこで使う言語は(それほど厳しいものではないものの)敬語、すなわち「ですます」調で辟易しているのに、ネットましてや自分の庭とでもいうべきブログという自由な空間で「ですます」調を使っているだなんて、首輪をつけて喜んでいるマゾなケモナーのようなものである。僕は、着ぐるみを着てあざとい仕草をして男性を萌えさせてそれを中から見てニヤニヤほくそ笑むような、むしろサドな人間である。自分の庭では大いに「だである」調を使わせてもらおうじゃないか。

 

 以上、今後、僕のブログでは上記三つの縛りを外し、より自由気ままにブログを書こうと決心した。やっぱり着ぐるみ内射精がナンバーワン!