スクール水着を着て風呂に入る

 例えば、仕事に疲れたサラリーマンが非日常を求めたいなら、別に何も週末にビジネスホテルに泊まりに行ったり、下りの電車に乗ったりする必要はないのである。もっとも下りの列車に乗っても着く場所は名張で、そこでぶっかけられるのは僕にとってはマクロな視点で見れば、それほど非日常というわけでなくむしろ日常の範疇であろう。

 スクール水着を着る場合は大抵の場合、着ぐるみを着ているとき、すなわち肌タイの上からであり、直接着ることは少ない。ここに非日常が入り込む隙があるのである。もっとも、僕にとってはさほどこれも非日常というわけでなく、真夏の何も予定のない休日なんかにシャワーを浴びて、スク水を着て、そのままクーラーをガンガンに効かせた部屋で毛布を被って昼寝するというのを至上の極楽としていたのだから、これもさして非日常とは言えまい。

 スク水を着る男性は多いと思うが、濡らす人はその数に比して少ないと思う。スク水をお持ちの男性はぜひシャワーを浴びるなど濡らして、その新鮮な質感を楽しんでほしい。水着は、水に濡らすためにある衣服なのだ。
 ところで、僕は現在セパレートのお風呂の物件に住んでいる。学生時代は家賃をケチるために泣く泣くユニットバスの物件に住んで、人権を手放していたが、社畜は精神の摩耗と引き換えにお金を手に入れたので、家賃にそれを投入することができ、見事セパレート物件に住むことができたのだ。

 先日僕は、はて最近スク水を直接着て濡らすことを楽しんでいないな、と思い、せっかくなのでスク水を着て、お風呂に入ってみることにしたのだ。実家暮らしでは絶対にできない芸当である。一人暮らしでは何もかも自由なのだ。社会という不自由に縛り付けられているようで、会社から解き放たれた社会人は意外に自由である。

 もっとも僕は別に素女装を楽しむ種族ではないので、スク水を着たときの美的感覚は皆無であり、その姿は醜悪といったほうがよかろう。脛毛こそ剃っているが、それ以外の毛の処理は一切していない。このときばかりはパイパン四天王に弟子入りしようかと思ったが、銭湯で恥ずかしい思いをするだけなので、やっぱり辞めることにした。剃るのは脛毛だけで十分だろう。
 それでも一応体型には自信が多少あるので、着ぐるみを着た上でのスク水姿なら人様にも見せられると思っている。そのためにMr.オクレのような体型を維持しているのだ。お前らMr.オクレを馬鹿にするけどな、じゃあ顔は福山雅治、体は彦摩呂の男性とMr.オクレ、どっちに着ぐるみを着せた方が萌えるかという命題について真剣に考えたことはあるか? アンガールズの山根じゃ背が高すぎる。やはりMr.オクレなのである。

 果たしてスク水を着た僕は湯船に入ったが、僕は重大なミスを犯してしまったことに気がついた。男性が女児用のスクール水着を着ている時点で、人間として重大どころではない騒ぎのミスを犯しているのではないかという声が聞こえてきそうだが、そうではない。入浴剤のバブを入れてしまったのである。今しがた会社帰りにドラッグストアで買ってきたものである。入浴剤はなけなしのQOLを上昇させる。しかし、僕が入れたその入浴剤は湯色を不透明にしてしまうのである。果たして、お湯は失敗したEmulsionのように白濁し、せっかく新鮮な質感を楽しもうと思っていたスク水は、少なくとも視覚的には見えなくなってしまったのだ。意気揚々と買ってきた入浴剤だが、深く考えず安易に入れてしまったためにこのような悲劇を引き起こしてしまった。

 残念体型の着ぐるみさんは、入浴剤を入れて白濁したお風呂の中に入れば、首だけしか見えなくて、いいと思う。