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ないものねだり

 人間ないものねだりと言うが、本当にそう感じさせられることがある。それは、単純労働がしたいという感情である。
 一流とされる大学を卒業し、さらにそこから先、修士まで行くと、よほどエキセントリックな就活をしない限り、なんだかんだで普通の人生をそこから先歩もうとすると、頭脳労働となることが通常である。
 会社によって、多少の差はあろうが、仕事にはそれなりの自由度がある場合が多く、ただ単に手を動かすだけでは仕事にならないことが多い。自分で考え、俯瞰しながらある程度系統立ててまとめながら、仕事を進めないといけないことが多いんじゃないかと思う。
 特に、研究職の場合、解のない仕事も少なくなかろう。いろいろな実験を試してもうまく行かない場合がある。となると中途半端な状態で仕事を切り上げ、うまく行ってないにもかかわらず、報告会みたいなのに突撃しなければならないというような、喉の奥に小骨が刺さったみたいな日々を送ることになることがある。

 単純労働というのはその点、気楽に見えてしまう。決められたものを決められた手順で決められたように手を動かしていれば、だいたい時間内に仕事が終わり、定時になれば仕事のことをきれいに忘れられて仕事から解放されるのだ。
 芳しい結果も出ず、その割に手間のかかる実験ばかりやってる日々が1週間も続くと、単純労働がしたい、というないものねだりの感情が湧いてくるようになる。人間なんて身勝手なのだろう。
 もっとも、会社によっては1年目は、研修などと称して、マジで製造現場で働かせるような場所もあるらしいが、そういうところで働いてる人が言うことには、「単純労働は8ヶ月が限界」とのことである。リアルだ。やはり、所詮ないものねだりはないものねだりなのだろう。
 
 ないものねだりってのは、底知れぬもので、ともすれば派遣社員が羨ましいようにも見えうるものなのである。
 責任は少ないし、会社に対して一蓮托生というか義理をそんなに感じることもないから、身軽そうでいいなぁとも思ってしまうことがある。
 実際のところは、将来不安すぎて全然気軽にはいられないんだろうと思うけど、将来への期待値が必然的に低いから、まあミクロな視点で見るとやっぱり羨ましい。これが、結婚するかもしれないなどとなると、そんな悠長なことは言ってられないんだろうと思うけど、こんな趣味を持ってる人間、結婚できないし、どうせろくな人生歩めまい。正社員はオーバースペックじゃないかと感じるときさえある。

 ところが実際、なまじ高等教育を受けたせいで、知的好奇心や探究心というのは、並の人と比べるとそれなりに持ってしまうようにできてるらしく、本当に単純労働だけになってしまうと、それはそれで味気ないだろうというのも容易に想像できる。
 たまに、本当に手間のかかる実験で、マジで同じことの繰り返しで単純労働みたいになってしまう日もあるが、午後になるとだいたい発狂しそうになる。パン工場のラインで働いてる人とか、刺し身にたんぽぽ載せてる人とかすごいなと思ってしまう。

 ただ、よくいい大学に行くことは選択肢を広げることになると言われるけど、別に選択肢が広がってるんじゃなくて、選択肢そのものが(たぶん上の方に)シフトしてるだけだよなー、と思う。その点はもう少し考えてもいいかもしれない。
 それでも、大卒より高卒の方が幸せそうに見えるというのは、皮肉である。でも、本当に幸せなのかどうかは分からない。牛乳を吸わされた雑巾のような扱いを受けている場合がある。それでも満足しちゃってるというか、うーん、幸福感ってのは絶対的なものじゃなくて、本人の期待値との落差で定義されるんかなと思ってしまう。たってブータンの人別に多分そんなに絶対的に幸せとは思えないでしょ。

 何の話だっけ。ないものねだり。
 我々男性にはおっぱいがないから、偽乳をつけて着ぐるみを着るのだ。おっぱいは我々男性にはないからね。偽乳をつけるのも広い意味ではないものねだりだ。
 でも、股間のもっこりは手放したくない。硬くなってる着ぐるみさんは素敵だからだ。
 どうやら、ないものねだりというわりに、あるものは手放したくないのだ。おちんちんは手放したくない。なるほど、どうりで修士という資格や正社員という肩書きを手放したくないわけである。