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着ぐるみ界隈初参加イベント(見る側のみor着ての、の2例)について

  本日はお題箱から。
 お題箱というのは、笹松氏もやってるもので、匿名でブログなどの筆者に"お題"を投げることができるツールである。ask.fmの雑なやつバージョンといったところか。気軽に匿名で投稿できるので、ぜひ投函してほしい。可能な限り全部答えると思う。

 

 さて、本日のお題であるが、着ぐるみで界隈で初参加のイベントである。ご丁寧にも、見る側としてと着る側としての2例と書いてあるあたり、このお題の投稿者はかなりの策士である。僕があやめ面を持っている話をさせようという強い意志を感じる。

 

 まずは見る側としての初参加。これはもう、泣く子も黙るビッグタイトル「まいどーる」である。それも、ただ一回唯一関東外で開催された大阪まいどーるである。忘れもせぬ2011年だから6年前か。はは、ご冗談を。

 折しも日本は、東日本大震災で国全体がお葬式ムードになっていた時期である。数々のイベントが自粛と称して開催中止を決定する中、よく開催してくれたものだと思う。

 

 この頃僕はTwitterで、KUクラスタとしてブイブイ言わせていた頃で、その一方で、自身がいわゆる美少女着ぐるみ好きであるとおずおずと表明していた時期でもあった。それを拾ってくれたのがめっきょんさんであった。ちょうど大阪の北千里で着ぐるみのイベントがあるから、ぜひ来てみてよ、と誘われたのである。

 ちなみに、まいどーるが開催される2週間ほど前にサシで宅オフをさせてもらったのが、僕が着ぐるみさんを間近に見る最初の機会だった。

 

 大阪まいどーるは北千里で行われた。北千里は、僕が高校生の頃、阪大の工学部に行くのに使ったことがある駅だ。まさか数年後、僕がその駅を利用することになるとは夢にも思わなかっただろう。


 兎にも角にも、僕はおっかなびっくりでまいどーるに参加。知り合いはめっきょんさんを唯一知っているのみであり、非常に孤独で心細く、と同時に高揚していただろう。経歴が7年目にも突入しようともなると、そういった機会はそんなにない。まさに絵に描いたような初心者、いや入門者である。今このブログを書いていて思うが、誰しもそんな時期はあったのだなあと思うと、感慨深いものである。

 

 大きな荷物を持った男性がたくさん並んでいた。ああ、彼らがこれから着ぐるみを着て"女の子"になるんだ、と思うと、興奮するような残念なような気持ちになった。今でこそ、「はぁ……中の人は男性……」などと言っているが、当時はやはり溢れんばかりの現実を突きつけられたじろいでいたのは事実だった。

 程なくして数多くの着ぐるみさんが出てきて、僕はなおさら混乱した。この世の天国のような地獄のような光景に、僕は脳の処理能力が限界を超えるのを感じた。明晰夢だと思ったら現実だったとでも言うべき困惑である。


 いんたーねっとでしか見たことのなかった着ぐるみさんが、今目の前にたくさんいる。女優や俳優がたくさんいるドラマの撮影現場に居合わせたかのようだ。特に、当時僕の中でレジェンド級だったなつき先生を目の当たりにできたとき、現実と虚構の境界はどこにあるのかという哲学的な問いを僕に投げかけた。画面の向こう側でしか見られなかった"美少女"(中の人は男性)が、"2次元"のまま目の前にいるのだ。これでどうして冷静でいられようか。

 

 当時僕がまいどーるの開催時間中どう過ごしていたのか、それはもはや忘れてしまったが、いくつかの僕が撮った画素数の低い写真が、実家から持って来られたぼろぼろのデジカメで何枚か写真を撮っていたことを語っている。


 なお、僕が当時どれだけ高ぶってしまったかを語る逸話として、「募金箱に1万円札を突っ込んだ」というのがある。東日本大震災から間の空いてなかった大阪まいどーるでは、東日本大震災への義援金を募っていた。僕は、東北の復興への思いに加えて、今後の美少女着ぐるみに対する夢と希望、発展を願い、万札を突っ込んだのだ。大阪まいどーるで募った義援金には万券が2枚入っていたようだが、1枚は僕である。

 

 こうして振り返ってみると、今の僕にとって着ぐるみを着ることは、現実でありもはや日常と言っても過言ではないのだが、当時の僕にとって、まだまだ近寄りがたく"虚構"の世界だったんだろうなあと思う。

 

 見る側としての初参加をあまりに語りすぎてしまったため、着る側としての初参加イベントを語るには、この余白は狭すぎるようになってしまった。よく見たら、お題はorか、andじゃないんだな、よかった。