文章を書くという行為について

 先日、夏の賞与が出たのですが、まあ、諸手を挙げて喜べるような内容でもなく、仮に僕が今の会社を辞めたいと思ったときに、後ろ髪を引かれる要素になるか、背中を後押しする要素になるかでいうと、後者でした。僕は労働にさして価値を見出す人間でもなく、むしろ見出すことは愚かで、避けるべきとさえ思ってるので、それでいいのかなあという気持ちのほうが強いかもしれません。柔らかな絶望に包まれながら、人生を惰性運転している僕にとってはそれが最適解のような気がします。

 さて、文章を書くという行為は、高尚なもので、ある程度の知的教養の備わった者のみが、自分の思想や哲学を文章にして表すことを許されるのです。その行為は、特に自分の文章を誰かに読まれなくても、まあまあ気持ちいいので、一種の自慰行為、すなわち高尚なオナニーと言えるでしょう。ただ、普通のオナニーもある程度体力を消耗するらしいです。特に我々のような着ぐるみで鏡を見ながらオナニーをする種族にとっては、着ぐるみを着るという活性化エネルギーの壁を超えるのがなかなか億劫で、ある程度体力と気力を持ったときしかできません。文章を書くのも同様で、ある程度体力と棋力が残っていないと、なかなか満足に文章を書くことができません。わりとこのブログも自分に鞭打って書いているところがあります。

 僕がブログを始めた理由は、大きく分けて二つあります。一つは、長い文章を書くという行為に憧れたから。もう一つは、長い文章を書かねばならないという危機感を持ったからです。前者についてですが、僕がブログを始めたきっかけは、笹松氏です。氏の書くブログを見て、よくもまあ日本語をここまで巧みに操りながら、真面目な顔をして馬鹿なことを書けるものだと感心しました。そういった"知的オナニー"に憧れ、自分もあんな文章を書きたいと思ったことが始めたきっかけでした。後者については、以前はホームページなどに僕秩に影響を受けたようなテキストサイトライクな文章を書いたり、あるいはBBS(爆)に長い文章をカキコ(核爆)したりと、ある程度の量を持った文章を書くことをやっていたのですが、最近ではTwitterばかりやっていたもので、140文字以上の文章を書く機会が激減し、多分脳みそが萎縮してるに違いないと危機感を抱いたことです。別に学校に提出するわけでもないくだらない文章なので、推敲だなんて崇高な行為は必要ないのですが、それでも論旨が一貫してるか、変な文が出現してないか、Twitterなんかよりはある程度気を使います。脳のトレーニングです。

 以前はタイトルがしりとりになるようにブログを連綿と続けていたのですが、どうしても書きにくいお題が出現したり、書きたいお題を出現させるために強引にそれまでの単語を繋げたりとやっていました。それはそれで楽しかったのですが、やはりフラストレーションが溜まってしまったので、結局撤廃し書きたいことを書くようになりました。でも、どうも"書きたいこと"をテーマにすると、労働とかのことが主題になり後ろ向きになりがちなところがあります。学生の頃にやっていたら、もっと明るい話題が書けたのでしょうか。あの頃は、空が青いだけで無敵だと思っていましたからね。馬鹿なんじゃないかと思います。まあ、今も馬鹿なんですけど。

 コミケ落ちたし、もっと着ぐるみのことをブログに書こうかな。

お題募集しています。宛先はこちら↓
https://odaibako.net/u/kussy_tessy

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