黒歴史

先日、リア友から、くっしーのブログは確かに小説として読むのならこれでいいと思うけど、エッセイとして読むなら、あまりにも改行が少なすぎる、と言われた。

 

そうなのである。僕のブログはあまりにも改行が少なく、一つのパラグラフが長い。これは、師である笹松氏のブログのスタイルに感化されたところも大きいが、もう一つ、僕が高校時代文芸部に入っていたことも関係している。

 

僕のブログをよく読んでいる方は、お気づきかと思うが、ちゃんと各パラグラフの初めは、1字下げている。すなわち、「小説」のときと同じスタイルを取っているのである。

 

また、僕は三点リーダー警察でもあり、「はぁ……中の人は男性……」というときは、きちんと三点リーダーを偶数個使っている。これは約物の決まりごとなのである。

 

とはいうものの、ブログは小説のように紙媒体で読むものではなく、ウェブ媒体で読むものなので、やはり読みやすさを重視するのなら、小説のような書き方でブログを書くのはどうにも相性が悪いのだ。

 

というわけで、今回から少し改行を多くして、ウェブ媒体で読みやすいよう心がけることにしてみた。

 

さて、本日のテーマは、「黒歴史」とのことである。お題箱に入っていたなかなか悪意のあるお題である。

 

かねてより恥の多い生涯を送ってきた僕にとって、黒歴史より白歴史のほうが少ない。黒歴史を挙げろと言われたら枚挙に暇がない。が、せっかく文芸部の話をしたので、黒歴史として文芸部の話をしよう。

 

文芸部の活動は、ずばり小説や随筆を書いてそれを部誌として発行することである。ああ、なんと分かりやすい黒歴史だろう。

 

自作の小説など黒歴史だと相場が決まっている。それを剰え図書室の前などに山済みにしているのだから、始末に負えない。自作の小説を公共の場所に置くだなんて、正気の沙汰ではない。若気の至りも甚だしい。

 

もっとも図書室に置いたところで、誰も身内以外手に取らないだろうから、問題ない。と書いて思ったが、減った部誌を補充した経験も多い。ということは、読まれているかどうかはさておき、確実に誰かの手に取られている。

 

ただし、その誰かは身内かもしれない。文芸部の先輩で、端的に言って画力がない先輩がいたのだが、その先輩が同期にはめられて、表紙を描かされることになった。その独創的な画風は、文芸部の中に衝撃を与え、カルト的な人気を博すことになった。

 

もちろん、本人にとっては、そのような現代美術に喧嘩を売るような絵の表紙の部誌は盛大な羞恥プレイなので、図書室の前を通る度に居たたまれなくなって、こっそりそれを持って帰っていたそうである。なので、家には15部くらい同じ表紙の部誌があったらしい。

 

部誌は、図書室だけでなく各教室にも一部配布されている。もちろん誰も気に留めないし、僕の高校の卒業生で、教室に文芸部の部誌が置かれていたことを覚えている人は、相当稀有な存在だろう。

 

ところが、定期試験などの日に試験監督の先生が、あまりに暇を持て余し、黒板の横に無造作にぶら下がっている部誌を見つけ、真面目な顔で暇つぶしに読み始めることがある。書かれている作品の8割はクソの山なので、なかなかシュールである。もっとも残りの2割くらいは、普通にガチの作品があったりして侮れないのだが。

 

言うまでもなく、黒歴史というエントリーで文芸部の話を書くくらいなのだから、僕が書いていた作品は無論クソの山である。3年間でたぶん延べ100ページくらいになっていたはずである。

 

どんな作品を書いていたか朧気な記憶になりつつあるものの、投げ出した連載が一本、なんとか完結させた連載が一本と、あと掌編がいくつかだったと思う。当時からTSFが好きだった僕は、密かに性転換物か入れ替わり物の小説を書いていた。

 

他の人もなかなか酷くて、投げ出した連載は数知れず。また、僅か8ページの作品を、3ページ、2ページ、3ページに分けて掲載し、「連載」だと言い張っていた例もある。

 

最大の黒歴史は、僕のペンネームが当時付き合っていた彼女の名前のアナグラムだったのいうのだから、もはや手に負えない。黒歴史としては殿堂入りにしていいレベルの華々しさである。

 

でも、まあそういう黒歴史ってあとから振り返ると、いい思い出だったりもするのだ。全く黒歴史のない人というのは、それはそれで寂しい。黒歴史というのは通過儀礼でもあるのだろう。

 

まあ、真の黒歴史なんて、普通にブログとかでも書けないと思うけどね。

 

お題募集しています。

https://odaibako.net/u/kussy_tessy