公文

小中学校の頃、公文式を習っていたので、今日はその話をしたいと思う。

習っていたのは小学2年から中学3年の春まで。中3で辞めたのは、流石に受験を控えているからであった。

一体どういった経緯で公文を始めたのか覚えていない。親に習わされたのか僕が自主的に何かを言って始めたのかももはや定かではない。物心ついたときには公文っ子だったといったとこだろう。

公文は週2回通っていた。月曜日と金曜日に学校の帰りに寄って、1時間か1時間半くらいプリントを解いていた。

習っていたのは、国語と算数/数学であった。英語もあったら、英語も習いたかったが、英語はやっていなかった。

さて、公文を習ったことのない人のために公文を説明しよう。
公文は究極の自学自習システムである。教材としてはかなり小さめのA5の紙片に冷徹・無味乾燥な問題が延々と載せられているのである。

教材は裏表ありの200枚で一つのステージが終わり、次のステージへと進む。
それらのステージには順番に、A、B、C、……とアルファベットが振られている。
教材が簡単なうちは一気に30枚くらい進められるのだが、だんだん難しくなってきて一回でやる枚数が10枚とか5枚とかに減ってくる。最後の方は、3枚だけとかいうときもあったと思う。

国語は記述式の問題が多かったと思う。比較的短い文章を読み、100字くらいで解答する問題が多かった。
最後の方は、漢文の白文を読まされていたりしたので、なかなか頭が沸いていたと思う。

数学の方は、中3で多項式積分(高2の数学II相当)をやっていた。今考えると、なかなか凄いことをやっていたと思う。
無理なく毎回の学習をコツコツと積み重ねていたら、無理なくそういった高みに自然と到達できるのが公文の魅力なのである。

よく、公文は受験対策や学校の試験対策にはならないという指摘がなされるが、これは至極真っ当で当然である。
公文は決して塾ではない。
ひたすら機械のようにゴリゴリと計算するマシーンになる。なので、文章題や図形の問題、思考力を要する問題は極端に少ない。

公文は、基礎体力を作る場所で、決して練習試合などをする場所ではない。
公文で数学を勉強すると、みんなが苦手とするあるものへのアレルギー的反応を克服できる。
それは、分数と代数である。

僕は塾で講師のアルバイトをやっていたが、とにかく中学生はこの二つに弱い。
中3になってもまともに通分できない、aやらxやら文字が出てきた瞬間思考停止する、このような輩がザラである。

なんと公文では、小数より先に分数を習う。
さも当然のようにしれっと整数の間には分数という数が存在することを教えてくれる。

そして、気がついたらaやらbやら、xやらyやらの文字式を計算させられる。
文字方程式と題して等式変形などをやらされたりする中で、とにかくこれらを息をするように扱うのだ。

公文では先生はほとんど教えてくれない。解説と呼ぶにはあまりにも貧弱な、計算例を見て、自分で試行錯誤しながらこれらを身に着けていく。

何百問と計算をさせられるのだ。嫌でも身にしみつく。
はっきり言って、数学が苦手だという中学生は演習量が圧倒的に足りない。
俺はお前らの10倍くらいの量の計算を小学生の間にしてきたのだ。

するとどうだろう。
中学校に入ってからの数学なんて、公文で強靭な基礎体力を培った僕にとってみれば、ただの計算問題なんて、呼吸するのと同然くらいの感覚になってる。

試験勉強をする必要がほとんとないのである。
皆が数学に注いでるリソースを、僕は数学の応用問題や、理科や英語など他の科目に費やすことができる。
これが公文っ子が強い理由である。

今振り返ってみると、僕は平然と公文に通っていたが、結構きつかったと思う。
週に2回通い、宿題もそれほど少なくない量が出て、塾も週3回通って宿題をこなし、なおかつ学校の提出物もやっていたのである。

実際結構きつかったのか、宿題をわざと1枚抜かして、「あ、忘れてた」みたいな演技をやるなど小賢しい真似をやっていたこともあったし、学校で勉強した後の夕方の公文は睡魔との戦いでもあった。
時々筆跡がふにゃふにゃしていたのは、半分寝ていたからに他ならない。

もっとも僕みたいに公文をガチで習っていたのは、僕くらいで、他の子たちはそこまで行かずに辞めてしまった。
特に、小学校から中学校に上がる段階で辞めてしまう子が多く、僕は中学生の間、半ば託児所と化してしまった教室で、一人微分積分と戦っていたのだから、それなりの勇者だったのだろう。

公文が直接僕を京大に行かせてくれたとは考えていないが、公文が僕の血となり肉となっているのは誤りではなかろう。
公文は今も僕の遺伝子の構成要因の一つであり続けている。