マジカルミライ2017

ミクちゃんを持っているんだから、行ってきなよと言われ、4月に軽率に応募したところ当選し、先日マジカルミライに行ってきた。

 

マジカルミライのテーマソング「砂の惑星」を聞いたときは、端的に言って、嫌な気分になった。

 

僕自身がハチさんの曲がそこまで好みでないという点もあるが、それにしたって10周年の式典にこんな曲提供するなんて、サイコパスか何かかよ、と思うくらい不穏な気分になった。

 

しかし、聞けば聞くほど不思議な魅力というか味が出てくるように感じるのも事実で、皮肉にも煽りにも激励にも聞こえる変な曲に取り憑かれていったというのもまた否定できなかった。

 

曲中で出てくる古参を刺激する歌詞や、メルトを彷彿とさせる虹色の鍵盤など、胸を締め付けられる演出が多く、伊達に十周年記念を謳ってないと唸らせる。

 

砂の惑星のMVには二人の(?)ミクが出てくる。
冒頭から登場するいかにもハチさんっぽい(笑)ミクと、「甘ったるいだけのケーキ」以降で登場する、"我々の(少なくとも僕の)記憶の中にあるミク"である。その異質な対称性に、何らかのメッセージ性を感じた。

 

ああ確かにそういや、最近ボカロの曲を漁っていなかったなあと思った。
最近の曲だと思っていたら、4年前の曲だったとかザラである。

 

「思いついたら歩いていけ 心残り残さないように」の歌詞と、最後の砂でできたケーキに耐えきれなくなって、ニコニコのVOCALOIDカテゴリのデイリーとウィークリーランキングがブラウザのブックマークに加わった。
皮肉にも、皮肉な歌が人を動かすエネルギーを持っていたということである。

 

さて、そんなわけで行ってきたマジカルミライであったが、一抹の不安はあった。
セトリの大半が分からない曲だったらどうしよう、だとか、周りの熱量に圧されてついていけなかったらどうしよう、だとか、そもそもライブというものに行ったことがない、すなわちライブのいろはも分かっていないのに行っていいのだろうか、と。

 

しかし、そのような考えは杞憂以外の何者でもなかった。実際分からない曲も2,3曲あったが、そのようなことは瑣末な問題に過ぎなかった。ミクたちが歌ってくれる場所に、しかも10周年をみんなで共有できるそのようなステージに立ち会えるということで、何がそんなに要求され、何をそんなに気を揉む必要があろう。

 

オープニングのみくみくにしてあげるで、心が踊り、ストリーミングハート、エイリアンエイリアンと、開始3曲でこのあとの体力に不安を覚えるほどボルテージが上がってしまった。

 

さっき買ったペンライトを振り回しながら、夢の中にいたかのような心地になっていたのだ。無論翌日筋肉痛になったのは言うまでもない(それでも"危険予知"をして、時々交互に持ち替えていたのだが)。

 

ふと冷静になって周りを見渡すと、テンション上がっちゃったと思われる女の子が、二刀流のペンライトを振りながらぴょんぴょん飛び跳ねている。可愛いなと思って、もっと冷静になってみたら、自分もぴょんぴょん跳び跳ねていたという具合である。最高だ。

 

僕にとってサプライズだったのは、えれくとりっく・えんじぇぅが流れたことだった。僕にとっては、ボカロ黎明期の曲だと位置付けている*1のだが、完全に予想外のところからの選曲*2だったので、舞い上がってしまった。

 

あと、脱法ロック。これはマジカルミライ抜きで、ここ最近知った曲で、サイケデリックなサムネに怖じ気をなして聞いてなかったのだが、いざ聴いてみると、その中毒性と歌詞(特にサビ。なんか病んでたときに聴いたので、元気をもらえた気がする)と、やっぱり意味不明のMVに魅了され、密かに気に入っていた曲。

 

マジカルミライの公式CDの曲にも収録されていて、内心おっと思っていたのだが、いざ流れてみるとやっぱりかっこいい。
レンくん、往年の卯月くんと同じくらいヘタレだと思っていたのに、かっこいい。
Fire◎Flowerも同様である。

 

アンコール前の大トリは、メルト。定番である。王道である。教科書か! 最高かよ!!
そして、アンコールではHand in hand、39みゅーじっく!、DECORATOR。もはや理屈抜きでいい曲である。

 

アップテンポな曲もあるかと思えば、Birthdayやツギハギスタッカートのようなバラードっぽい曲もあり、VOCALOIDという"音楽ジャンル"が持つ、音楽ジャンルの広さを感じさせられた。
また、会場の照明や画面を使った様々な演出などに心を踊らされた。

 

などと、冷静な論説を垂れてみたいところだが、とにかく無我夢中だったので、振り返ってみると、やっぱり夢だったのじゃないかと思うくらい素晴らしかった。

 

最後のエンディングはハジメテノオトだった。
おいおい、暴力か。泣かせるつもりか。バイオレンスか。勘弁してくれ。
会場全員で斉唱した。

やがて日が過ぎ 年が過ぎ
古い荷物も ふえて
あなたが かわっても
失くしたくないものは
ワタシに あずけてね

(略)

もしもあなたが 望むのなら
何度でも 何度だって
かわらないわ あのときのまま
ハジメテノオトのまま…

当時聞いても本当にいい曲だと思ったし、10年という節目に聞くとさらに別の意味で深みを増していい曲に聞こえる。これを最後に持ってくるなんて、ベタなのかもしれないけど粋だ。マジで泣くかと思った。

 

僕は、日本という国の平成という時代に生まれたことに感謝しなければならないと心底思った。

 

全ての公演が終了して2時間経っていたことに驚愕した。
始まる前は2時間ってわりと長いよなあ、と思っていたのだが、信じられないくらいあっという間だった。アインシュタイン相対性理論か?!と思った。
「これをもちまして全ての公演を終了させていただきます」のアナウンスに、冗談はよしてくれよ、と思ったほどだ。
永遠に続いてくれ、と思った。

 

終わってみて、とにかく楽しかった。行ってよかった。

 

方方から殴られるかもしれないことを承知で言うと、半ば立ちション発注*3に近かったミクちゃんであるが、それのお陰でマジカルミライに行けたのだとしたら僥倖である。

 

来年はなんとインテックス大阪でも公演するとのことである。まいどーるも5年で終わってしまったし、マジカルミライも10年/5年という節目であり、よりによってテーマソングがあれ(笑)であったことから、もしやだなんて思ったが、そんなことはなかった。絶対に行く。

 

……と同時に、今回3万人に祝われたミクであるが、自分がミクのマスター*4もとい内臓であるということで背負っている十字架は思った以上に重いなあと感じた。身の引き締まる思いがした。が、それはまた別の話。

 

興奮しすぎて脚攣って今もちょっと痛い。

*1:逆に、最近ボカロを知った人は知らないんじゃない?

*2:「私の時間」なんかも来るんじゃないかと思っていた。

*3:綿密な計画もなく、気軽に娘を発注すること。ある人が立ちションをしながら、たまたま隣に工房主がいたのでその場のノリと勢いで発注したことに由来。

*4:VOCALOIDで「マスター」って言うと別の意味に聞こえるな。

公文

小中学校の頃、公文式を習っていたので、今日はその話をしたいと思う。

習っていたのは小学2年から中学3年の春まで。中3で辞めたのは、流石に受験を控えているからであった。

一体どういった経緯で公文を始めたのか覚えていない。親に習わされたのか僕が自主的に何かを言って始めたのかももはや定かではない。物心ついたときには公文っ子だったといったとこだろう。

公文は週2回通っていた。月曜日と金曜日に学校の帰りに寄って、1時間か1時間半くらいプリントを解いていた。

習っていたのは、国語と算数/数学であった。英語もあったら、英語も習いたかったが、英語はやっていなかった。

さて、公文を習ったことのない人のために公文を説明しよう。
公文は究極の自学自習システムである。教材としてはかなり小さめのA5の紙片に冷徹・無味乾燥な問題が延々と載せられているのである。

教材は裏表ありの200枚で一つのステージが終わり、次のステージへと進む。
それらのステージには順番に、A、B、C、……とアルファベットが振られている。
教材が簡単なうちは一気に30枚くらい進められるのだが、だんだん難しくなってきて一回でやる枚数が10枚とか5枚とかに減ってくる。最後の方は、3枚だけとかいうときもあったと思う。

国語は記述式の問題が多かったと思う。比較的短い文章を読み、100字くらいで解答する問題が多かった。
最後の方は、漢文の白文を読まされていたりしたので、なかなか頭が沸いていたと思う。

数学の方は、中3で多項式積分(高2の数学II相当)をやっていた。今考えると、なかなか凄いことをやっていたと思う。
無理なく毎回の学習をコツコツと積み重ねていたら、無理なくそういった高みに自然と到達できるのが公文の魅力なのである。

よく、公文は受験対策や学校の試験対策にはならないという指摘がなされるが、これは至極真っ当で当然である。
公文は決して塾ではない。
ひたすら機械のようにゴリゴリと計算するマシーンになる。なので、文章題や図形の問題、思考力を要する問題は極端に少ない。

公文は、基礎体力を作る場所で、決して練習試合などをする場所ではない。
公文で数学を勉強すると、みんなが苦手とするあるものへのアレルギー的反応を克服できる。
それは、分数と代数である。

僕は塾で講師のアルバイトをやっていたが、とにかく中学生はこの二つに弱い。
中3になってもまともに通分できない、aやらxやら文字が出てきた瞬間思考停止する、このような輩がザラである。

なんと公文では、小数より先に分数を習う。
さも当然のようにしれっと整数の間には分数という数が存在することを教えてくれる。

そして、気がついたらaやらbやら、xやらyやらの文字式を計算させられる。
文字方程式と題して等式変形などをやらされたりする中で、とにかくこれらを息をするように扱うのだ。

公文では先生はほとんど教えてくれない。解説と呼ぶにはあまりにも貧弱な、計算例を見て、自分で試行錯誤しながらこれらを身に着けていく。

何百問と計算をさせられるのだ。嫌でも身にしみつく。
はっきり言って、数学が苦手だという中学生は演習量が圧倒的に足りない。
俺はお前らの10倍くらいの量の計算を小学生の間にしてきたのだ。

するとどうだろう。
中学校に入ってからの数学なんて、公文で強靭な基礎体力を培った僕にとってみれば、ただの計算問題なんて、呼吸するのと同然くらいの感覚になってる。

試験勉強をする必要がほとんとないのである。
皆が数学に注いでるリソースを、僕は数学の応用問題や、理科や英語など他の科目に費やすことができる。
これが公文っ子が強い理由である。

今振り返ってみると、僕は平然と公文に通っていたが、結構きつかったと思う。
週に2回通い、宿題もそれほど少なくない量が出て、塾も週3回通って宿題をこなし、なおかつ学校の提出物もやっていたのである。

実際結構きつかったのか、宿題をわざと1枚抜かして、「あ、忘れてた」みたいな演技をやるなど小賢しい真似をやっていたこともあったし、学校で勉強した後の夕方の公文は睡魔との戦いでもあった。
時々筆跡がふにゃふにゃしていたのは、半分寝ていたからに他ならない。

もっとも僕みたいに公文をガチで習っていたのは、僕くらいで、他の子たちはそこまで行かずに辞めてしまった。
特に、小学校から中学校に上がる段階で辞めてしまう子が多く、僕は中学生の間、半ば託児所と化してしまった教室で、一人微分積分と戦っていたのだから、それなりの勇者だったのだろう。

公文が直接僕を京大に行かせてくれたとは考えていないが、公文が僕の血となり肉となっているのは誤りではなかろう。
公文は今も僕の遺伝子の構成要因の一つであり続けている。

宗教で一山当てたい

今のお年寄りには信じられないことらしいが、今の若者はそれほど生きることに執着していない。

いや、もちろん美味しいものをたくさん食べたいとか綺麗なものをたくさん見たいとか面白いことをたくさんしたいとか、そういう欲はある。

しかし、積極的に人生というものを歩みたがる若者がどれほどいるかという話である。

まあ僕なんかは、もうこんな趣味を持っているので、真っ当な結婚なんかは諦めて、人生を軽く流してる。

周りを見て、積極的に結婚したがってる人は半数くらいだと思う。

なんなら着ぐるみクラスタに限って言えばある種のタブーにさえなっている。

さて、そんななか、例えば子供を何人産んで、老後はこんな暮らしをして……みたいな青写真を描いている人が今の若者にどれくらいいるかという話である。

もし、積極的に老後を含めた人生の青写真を描いている人がいたら、僕はきっとその人のことをよくできた人というよりは、ちょっとバカなんじゃないかとさえ思ってしまう。

というか、なんなら40歳か50歳くらいで死んでしまった方が、人生の設計はうまくいくような気さえする。

今の若者というのは潜在的に死にたがっているというのが僕の持論である。

死にたがっている、生きることへの執着がないというのは、決して自殺願望があるだとか希死念慮があるだとか、そういうたぐいの物ではない。

目の前にロープがあっても首を差し出すつもりはないし、電車が自分めがけて飛び込んできたら、おそらく逃げるだろう。

なぜ、生きることがかくも憂鬱なのかというと、生きることは労働と同義だからである。

端的に言って働きたくない、楽して金を儲けたいのである。

さあ、ではどうやって金を稼ぐかである。

実はこのような話題に、かつて研究室になったことがある。それはJK(助教)が語っていたことだった。

助教とは20歳近く歳が離れているとは言え、この辺の価値観はどちらかと言えば我々に近いらしい。もっとも結婚して子供もいるから、僕らよりはよほど建設的なのだが。

そんな助教曰く、楽をして金を儲けるなら手っ取り早くは宗教らしい。
なるほど、ごもっともである。

そして、助教にはある宗教の考えを持っているらしい。

それが、潜在的に死にたがっている若者を緩やかに自殺させてあげる宗教である。
それは、安楽死なんかよりはもっと哲学的で、具体的な方策というのは思い浮かばないそうだが、とにかく未来に希望を失った若者をシームレスに生から死へ導いてくれる宗教なのだそうだ。

なるほど。僕が日々考えていたことをここまでピンポイントに撃ち抜く助教の発想というのには、頭が上がらない。

死にたいけど別に今日明日死にたいわけじゃない。1年後に死ぬとしてもちょっと困る。
楽しいことしたり美味しいものを食べたりはしたい。でも、別に積極的に生きたくはない。
緩やかに死にたがってる。
そんな閉塞感、厭世感を救う宗教である。
儲からないわけがない。

そこでふと僕は思い立った。
ああ、それはきっと昔でいう「出家」なのではないかと。

古文を読んでいたころは特に何も思ってなかったが、あいつら出家し過ぎである。

失恋したら出家、何かがうまくいかなかったから出家。ファッションで出家してるかのようである。

しかし、出家というのは画期的なシステムな気がしてならない。
世を捨て親を捨て友を捨て、よく分からない修行に励み、悟りを開くのである。
これは、ある意味、生きながらにして自殺ができているのではないか。

となると、昔の人も、本質的には死にたがっていたのかもしれない。

このご時世に出家する人はさほどいないだろうが、若者に対して出家に対して、カジュアルに"自殺"できるような宗教を提供できれば、かなり訴求心があるだろう。

残念ながら、僕が提供できる宗教は「はぁ……中の人は男性……」教で、ご利益は橋本ララにブロックされることくらいしかないが、もし怪しげな宗教を立ち上げて一山当てたいという方がいれば、僕にご一報くだされば、ともに変な宗教を立ち上げるのを手伝います。
若者からお金を巻き上げましょう。

夏場はセミしか食べない人の話

例えば、友人と一緒にご飯を食べに行こうということになったとしよう。その友人が普段僕らと同じようなものを食べているのなら、なんということはない。ほんと食べるだけというのならラーメン屋でもいいし、2時間ほどだべりたいなあというのなら、食べログで適当に評価の高い居酒屋でも選べばいい。なんなりと食べる場所はある。

ところが、その友人が、毎日毎日1万円近くするようなランチやディナーをTwitterInstagramに上げていたらどうだろう。少し一緒にご飯を食べに行くのを躊躇するだろう。

一方で、毎日毎日ジャンクフードやスーパー玉出の惣菜を食べていたら、これまた躊躇してしまう。こいつこんなに金ないのか、一緒にご飯を食べに行くところ選ぶの苦労しそうだなとか思ってしまうだろう。玉出の惣菜を食べられるなんて、普通ではない胃袋を持っているに違いない。

さらに、その友人が夏場はセミしか食べない人だったらどうしよう。あまりの美食家を食事に誘うのは躊躇するが、ひどい悪食家もこれまた誘うのに躊躇する。え、この人、ほんとにセミ食べるの、人間が食べるものとか口に合わないのかなと勘繰られ、最後には食事に誘われなくなってしまうことだろう。

着ぐるみ界隈の人間関係でも同じことが起きている。
着ぐるみ界隈も結局は人間の集まりなので、そのなかで緩やかなグループを作っており、誰それさんは誰それさんグループ、誰それさんは誰それさんと仲がいいみたいにして、なんとなくタグ付けされている。

そして着ぐるみ界には、目には見えないカーストというのがあり、そのカーストと上記の仲良しグループのタグ付けというのは相互に関係している。
すなわち"上位"の者と遊ぶと、その人も上位の者ということとなり、"下位"の者と遊ぶとゲフンゲフン

まあ、もっとも"上位"の者と遊ぶのも考えものである。あまりに意識の高い人たちと絡んでいると、面倒臭い・畏れ多いなどとして敬遠されがちになる。
つまり周りから、毎日1万円近くするランチなディナーばっか食べてると思われるのである。これでは、なかなか食事に誘ってもらえない。

一方で"下位"の者と遊ぶと、これはもう、周りからは夏場はセミしか食べない人と認識されるのである。そうなると、あの人と一緒に食事に行きたいなと思われても、「冬場はセミいないし、何を食べてこの人生きてるんだろう」みたいな心配をされるだけで、遊びに誘ってもらえないみたいな事態に陥ってしまうのである。

僕の師匠は、なかなかの悪食家みたいなところがあり、世で地雷と扱われてる人がいても、躊躇せずにそれを踏み抜いて、その爆発威力を楽しむみたいな趣味を持っている。
まあ、よっきーさんは脚が二三本吹き飛んでも、次の日の朝には生えてきてるので問題ないそうなのだ。なお、不発弾であることも少なくないそうだ。

が、セミばかり食べていると、いよいよ誕生日プレゼントでイナゴとか送りつけられてきそうなので、天下の美食博覧会と言われる白馬オフに参加したのがこないだの話。

僕の師匠は、カースト上位とされる、いわゆる"大御所"の主催者にちゅーをした上に、ちんこを揉むという、これまでの着ぐるみ活動経験を遺憾なく発揮する粗相を働き、見事Dポイント*1を獲得した*2
いかにこれまでの着ぐるみ活動経験で学んだことが誤りの連続だったかということの証左だろう。

よっきーさんは、僕と出会う前は、もっとまともな人だったんだけどね。僕と出会ってからがおかしくなってしまった。
よくもまあ僕みたいな人を弟子に取ってくれたものだ。
…………あっ、僕が美味しそうな"セミ"だったからか。

いやー、思わぬ結論に至りましたね。

お題箱募集しております。宛先はこちら
https://odaibako.net/u/kussy_tessy

*1:出禁ポイントのこと。白馬は、美食博覧会であり、"ドレスコード"が厳しいので、ちょっとでも粗相を働くと出禁を喰らうに違いないという勝手な想像で生まれたネタ。

*2:冗談です。別に本当に出禁になってないです。念のため。

黒歴史

先日、リア友から、くっしーのブログは確かに小説として読むのならこれでいいと思うけど、エッセイとして読むなら、あまりにも改行が少なすぎる、と言われた。

 

そうなのである。僕のブログはあまりにも改行が少なく、一つのパラグラフが長い。これは、師である笹松氏のブログのスタイルに感化されたところも大きいが、もう一つ、僕が高校時代文芸部に入っていたことも関係している。

 

僕のブログをよく読んでいる方は、お気づきかと思うが、ちゃんと各パラグラフの初めは、1字下げている。すなわち、「小説」のときと同じスタイルを取っているのである。

 

また、僕は三点リーダー警察でもあり、「はぁ……中の人は男性……」というときは、きちんと三点リーダーを偶数個使っている。これは約物の決まりごとなのである。

 

とはいうものの、ブログは小説のように紙媒体で読むものではなく、ウェブ媒体で読むものなので、やはり読みやすさを重視するのなら、小説のような書き方でブログを書くのはどうにも相性が悪いのだ。

 

というわけで、今回から少し改行を多くして、ウェブ媒体で読みやすいよう心がけることにしてみた。

 

さて、本日のテーマは、「黒歴史」とのことである。お題箱に入っていたなかなか悪意のあるお題である。

 

かねてより恥の多い生涯を送ってきた僕にとって、黒歴史より白歴史のほうが少ない。黒歴史を挙げろと言われたら枚挙に暇がない。が、せっかく文芸部の話をしたので、黒歴史として文芸部の話をしよう。

 

文芸部の活動は、ずばり小説や随筆を書いてそれを部誌として発行することである。ああ、なんと分かりやすい黒歴史だろう。

 

自作の小説など黒歴史だと相場が決まっている。それを剰え図書室の前などに山済みにしているのだから、始末に負えない。自作の小説を公共の場所に置くだなんて、正気の沙汰ではない。若気の至りも甚だしい。

 

もっとも図書室に置いたところで、誰も身内以外手に取らないだろうから、問題ない。と書いて思ったが、減った部誌を補充した経験も多い。ということは、読まれているかどうかはさておき、確実に誰かの手に取られている。

 

ただし、その誰かは身内かもしれない。文芸部の先輩で、端的に言って画力がない先輩がいたのだが、その先輩が同期にはめられて、表紙を描かされることになった。その独創的な画風は、文芸部の中に衝撃を与え、カルト的な人気を博すことになった。

 

もちろん、本人にとっては、そのような現代美術に喧嘩を売るような絵の表紙の部誌は盛大な羞恥プレイなので、図書室の前を通る度に居たたまれなくなって、こっそりそれを持って帰っていたそうである。なので、家には15部くらい同じ表紙の部誌があったらしい。

 

部誌は、図書室だけでなく各教室にも一部配布されている。もちろん誰も気に留めないし、僕の高校の卒業生で、教室に文芸部の部誌が置かれていたことを覚えている人は、相当稀有な存在だろう。

 

ところが、定期試験などの日に試験監督の先生が、あまりに暇を持て余し、黒板の横に無造作にぶら下がっている部誌を見つけ、真面目な顔で暇つぶしに読み始めることがある。書かれている作品の8割はクソの山なので、なかなかシュールである。もっとも残りの2割くらいは、普通にガチの作品があったりして侮れないのだが。

 

言うまでもなく、黒歴史というエントリーで文芸部の話を書くくらいなのだから、僕が書いていた作品は無論クソの山である。3年間でたぶん延べ100ページくらいになっていたはずである。

 

どんな作品を書いていたか朧気な記憶になりつつあるものの、投げ出した連載が一本、なんとか完結させた連載が一本と、あと掌編がいくつかだったと思う。当時からTSFが好きだった僕は、密かに性転換物か入れ替わり物の小説を書いていた。

 

他の人もなかなか酷くて、投げ出した連載は数知れず。また、僅か8ページの作品を、3ページ、2ページ、3ページに分けて掲載し、「連載」だと言い張っていた例もある。

 

最大の黒歴史は、僕のペンネームが当時付き合っていた彼女の名前のアナグラムだったのいうのだから、もはや手に負えない。黒歴史としては殿堂入りにしていいレベルの華々しさである。

 

でも、まあそういう黒歴史ってあとから振り返ると、いい思い出だったりもするのだ。全く黒歴史のない人というのは、それはそれで寂しい。黒歴史というのは通過儀礼でもあるのだろう。

 

まあ、真の黒歴史なんて、普通にブログとかでも書けないと思うけどね。

 

お題募集しています。

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文章を書くという行為について

 先日、夏の賞与が出たのですが、まあ、諸手を挙げて喜べるような内容でもなく、仮に僕が今の会社を辞めたいと思ったときに、後ろ髪を引かれる要素になるか、背中を後押しする要素になるかでいうと、後者でした。僕は労働にさして価値を見出す人間でもなく、むしろ見出すことは愚かで、避けるべきとさえ思ってるので、それでいいのかなあという気持ちのほうが強いかもしれません。柔らかな絶望に包まれながら、人生を惰性運転している僕にとってはそれが最適解のような気がします。

 さて、文章を書くという行為は、高尚なもので、ある程度の知的教養の備わった者のみが、自分の思想や哲学を文章にして表すことを許されるのです。その行為は、特に自分の文章を誰かに読まれなくても、まあまあ気持ちいいので、一種の自慰行為、すなわち高尚なオナニーと言えるでしょう。ただ、普通のオナニーもある程度体力を消耗するらしいです。特に我々のような着ぐるみで鏡を見ながらオナニーをする種族にとっては、着ぐるみを着るという活性化エネルギーの壁を超えるのがなかなか億劫で、ある程度体力と気力を持ったときしかできません。文章を書くのも同様で、ある程度体力と棋力が残っていないと、なかなか満足に文章を書くことができません。わりとこのブログも自分に鞭打って書いているところがあります。

 僕がブログを始めた理由は、大きく分けて二つあります。一つは、長い文章を書くという行為に憧れたから。もう一つは、長い文章を書かねばならないという危機感を持ったからです。前者についてですが、僕がブログを始めたきっかけは、笹松氏です。氏の書くブログを見て、よくもまあ日本語をここまで巧みに操りながら、真面目な顔をして馬鹿なことを書けるものだと感心しました。そういった"知的オナニー"に憧れ、自分もあんな文章を書きたいと思ったことが始めたきっかけでした。後者については、以前はホームページなどに僕秩に影響を受けたようなテキストサイトライクな文章を書いたり、あるいはBBS(爆)に長い文章をカキコ(核爆)したりと、ある程度の量を持った文章を書くことをやっていたのですが、最近ではTwitterばかりやっていたもので、140文字以上の文章を書く機会が激減し、多分脳みそが萎縮してるに違いないと危機感を抱いたことです。別に学校に提出するわけでもないくだらない文章なので、推敲だなんて崇高な行為は必要ないのですが、それでも論旨が一貫してるか、変な文が出現してないか、Twitterなんかよりはある程度気を使います。脳のトレーニングです。

 以前はタイトルがしりとりになるようにブログを連綿と続けていたのですが、どうしても書きにくいお題が出現したり、書きたいお題を出現させるために強引にそれまでの単語を繋げたりとやっていました。それはそれで楽しかったのですが、やはりフラストレーションが溜まってしまったので、結局撤廃し書きたいことを書くようになりました。でも、どうも"書きたいこと"をテーマにすると、労働とかのことが主題になり後ろ向きになりがちなところがあります。学生の頃にやっていたら、もっと明るい話題が書けたのでしょうか。あの頃は、空が青いだけで無敵だと思っていましたからね。馬鹿なんじゃないかと思います。まあ、今も馬鹿なんですけど。

 コミケ落ちたし、もっと着ぐるみのことをブログに書こうかな。

お題募集しています。宛先はこちら↓
https://odaibako.net/u/kussy_tessy

社会人になってから1年と少し

 僕は今なお性質の悪い冗談としてしか受け止めていないが、どうやら僕は社会人になってから、とうに一年を過ぎているらしい。配属されてからカウントしてももう一年になる。正直なところ、しっくりきていないというのが実情である。結婚願望というものを完全に捨て去り、大学院を卒業してから、人生は消化試合に入ったと信じて疑わない僕は、社会人になってしまったということは、ひょっとしたら何らかの間違いだと疑っている。明日目が覚めたら、またあの桂の坂を登り始めるのかもしれないし、なんなら吉田山の蝉の声の海を泳ぎながら、ろくに聞くつもりもない授業を聞きに行くかもしれない。あるいは、近鉄長野線に乗って、吹奏楽部の奏でる日常に揺蕩いながら、気怠い午後の風を浴びて部誌を製本しに行くかもしれない。

 僕の居場所というのは、確かにあそこにあったはずで、震災があったら崩れてしまいそうない今のビルのあの一角が居場所じゃないような気もしてる。それでも、案外日常というのはシステマティックに訪れるもので、確かにあそこに行くと、僕の席があって、なるほど僕の仕事もあって、怯えつつも、まあ頼りになる上司がいてくれて、そして口座を覗くと確かに給与が振り込まれていて、ああやっぱりここが僕の居場所になってしまったのだなあと釈然としない感情と付き合いつつも、僕は小さく生きていっているのだ。

 これは、"着ぐるみ警察"に怒られそうな話なのだが、僕が一番"居場所感"を覚えるのは、着ぐるみ界隈である。正直なところ、僕は着ぐるみについて自信がある方だと自負してる。着ぐるみ関係の活動に関して、概ね不自由なく、かなり楽しい活動をさせていただいていると思う。もちろん僕の背中を押してくれた方が与えてくれたきっかけから芽吹いたのであるが、それに加えて敬愛する師匠のおかげで、ここまで来れたことは、もはや疑う余地はない。

 ところがである。師匠であるよっきーさんなくして、僕の着ぐるみ人生は語れないなどと言っているが、僕が着ぐるみを始めてからよっきーさんに出会うまで実は9ヶ月かかっている。そして、初めて椛を着させてもらったのは、実はそれから半年後、すなわち着ぐるみを始めてから1年半後なのである。僕の着ぐるみ活動の方向性が、よっきーさんの椛で定まったことは頻繁に書いているので、改めて書くつもりはないが、強調したいのはその椛になるまで、着ぐるみを始めてから1年半もかかっているのだ。

 さっき居場所感がしっくり来ていない、と書いた会社に入って、配属されてから、まだ1年経っていないのである。たった1年である。つまり、僕はまだ椛を着たことがないのである。趣味ですら方向性が定まる機会に出会うまで1年半もかかっているのだ。だったら仕事で1年なんて、まだしっくり来ていなくて当然で、それで全然いいんじゃないか。僕はまだ椛に出会えていないのだから。こう考えると、不思議なくらい僕のざわざわした心は鎮まって、「ああ、まあ、こんなもんなら及第点じゃないの」と思えるようになった。別にブラックな会社というわけでもなさそうなので、「まずは三年」という言葉を馬鹿正直に受け止めて、このしっくり来ない日常を受け入れて、機が熟すのを待つというのがなんだかんだで一番賢い選択なのではなかろうか。