スクール水着を着て風呂に入る

 例えば、仕事に疲れたサラリーマンが非日常を求めたいなら、別に何も週末にビジネスホテルに泊まりに行ったり、下りの電車に乗ったりする必要はないのである。もっとも下りの列車に乗っても着く場所は名張で、そこでぶっかけられるのは僕にとってはマクロな視点で見れば、それほど非日常というわけでなくむしろ日常の範疇であろう。

 スクール水着を着る場合は大抵の場合、着ぐるみを着ているとき、すなわち肌タイの上からであり、直接着ることは少ない。ここに非日常が入り込む隙があるのである。もっとも、僕にとってはさほどこれも非日常というわけでなく、真夏の何も予定のない休日なんかにシャワーを浴びて、スク水を着て、そのままクーラーをガンガンに効かせた部屋で毛布を被って昼寝するというのを至上の極楽としていたのだから、これもさして非日常とは言えまい。

 スク水を着る男性は多いと思うが、濡らす人はその数に比して少ないと思う。スク水をお持ちの男性はぜひシャワーを浴びるなど濡らして、その新鮮な質感を楽しんでほしい。水着は、水に濡らすためにある衣服なのだ。
 ところで、僕は現在セパレートのお風呂の物件に住んでいる。学生時代は家賃をケチるために泣く泣くユニットバスの物件に住んで、人権を手放していたが、社畜は精神の摩耗と引き換えにお金を手に入れたので、家賃にそれを投入することができ、見事セパレート物件に住むことができたのだ。

 先日僕は、はて最近スク水を直接着て濡らすことを楽しんでいないな、と思い、せっかくなのでスク水を着て、お風呂に入ってみることにしたのだ。実家暮らしでは絶対にできない芸当である。一人暮らしでは何もかも自由なのだ。社会という不自由に縛り付けられているようで、会社から解き放たれた社会人は意外に自由である。

 もっとも僕は別に素女装を楽しむ種族ではないので、スク水を着たときの美的感覚は皆無であり、その姿は醜悪といったほうがよかろう。脛毛こそ剃っているが、それ以外の毛の処理は一切していない。このときばかりはパイパン四天王に弟子入りしようかと思ったが、銭湯で恥ずかしい思いをするだけなので、やっぱり辞めることにした。剃るのは脛毛だけで十分だろう。
 それでも一応体型には自信が多少あるので、着ぐるみを着た上でのスク水姿なら人様にも見せられると思っている。そのためにMr.オクレのような体型を維持しているのだ。お前らMr.オクレを馬鹿にするけどな、じゃあ顔は福山雅治、体は彦摩呂の男性とMr.オクレ、どっちに着ぐるみを着せた方が萌えるかという命題について真剣に考えたことはあるか? アンガールズの山根じゃ背が高すぎる。やはりMr.オクレなのである。

 果たしてスク水を着た僕は湯船に入ったが、僕は重大なミスを犯してしまったことに気がついた。男性が女児用のスクール水着を着ている時点で、人間として重大どころではない騒ぎのミスを犯しているのではないかという声が聞こえてきそうだが、そうではない。入浴剤のバブを入れてしまったのである。今しがた会社帰りにドラッグストアで買ってきたものである。入浴剤はなけなしのQOLを上昇させる。しかし、僕が入れたその入浴剤は湯色を不透明にしてしまうのである。果たして、お湯は失敗したEmulsionのように白濁し、せっかく新鮮な質感を楽しもうと思っていたスク水は、少なくとも視覚的には見えなくなってしまったのだ。意気揚々と買ってきた入浴剤だが、深く考えず安易に入れてしまったためにこのような悲劇を引き起こしてしまった。

 残念体型の着ぐるみさんは、入浴剤を入れて白濁したお風呂の中に入れば、首だけしか見えなくて、いいと思う。

ブログ飽きた

 いささかキャッチーなタイトルで皆様の目を引いてしまったことにお詫び申し上げるが、このブログを続けることに、自分の中でそろそろ限界を感じ始めたのである。

 と言っても執筆意欲がなくなってしまったわけではない。むしろ今まで以上に執筆意欲は高まっている。結論から申し上げると、ブログはまだ暫くの間は続けるので安心してほしい。

 どういうことか説明しよう。僕は、このブログを始めるにあたって、いくつか自分の中で決めたルールがある。

・タイトルはしりとりで繋ぐ

・パラグラフの数は原則四つ

・「ですます調」で統一する

 

 一つずつ説明する。まず、一つ目の「タイトルはしりとりで繋ぐ」だが、過去の記事を辿ってみると分かるように、はじめの「笹松しいたけ」から始まり、延々とタイトルがしりとりで繋がっている。これは、私の過去のブログの失敗から学ばれており、私は包摂主義者なのでその日その日あったことを克明に記さなければならないという義務感に縛られる一方で、怠け者なのでブログをサボっている間にどんどん日にちが経過し、気がついたときには3ヶ月前のことを日記と称して書いているといった事態が頻発したのである。これでは元も子もないということで、「日記」に縛られないスタイルとして「お題」に対して、自分の思うことをつらつらと書くという方法を取ったのである。そこで捻りを加えて、そのお題をしりとりで繋ごうとしたのである。

 笹松恩師にむやみな縛りは自分を滅ぼすから止めたほうがいいという忠告をもらったにも関わらず無視し、頑なに1年近くしりとりをつなぎ続けてきたのである。これには理由があって、任意に「お題」を設定できるようにすると、全速力で自分の好きなことを書き続けて、そのうちネタが枯渇して燃え尽きるといった光景が予想されたからである。実際、初代(?)のどざいさんのブログが面白いと評判のまま、全速力で突っ走ってたった10回の更新で最終回を迎えたことは記憶に新しい。10回って。アニメの1クールにも満たないやん。

 確かにその試みは成功し、ある意味ではネタは枯渇することなく、1年間ブログを更新し続けることができ、むしろまだまだ秘蔵のネタがあるくらいなのだが、如何せん記事ごとの落差が激しい。着ぐるみの記事になると水を得た魚のように意気揚々と怪文書を垂れ流すことができるのだが、無難なお題の記事になると、途端に僕がホームグラウンドの関西ではなくアウェイの関東のオフ会に行ったときのような薄味の、毒にも薬にもならない人畜無害な文章を量産する羽目になったのである。人畜無害など、僕の敬愛する師匠であるよっきーさんが最も毛嫌いする世渡りの仕方であり、弟子が、失敗して買ってしまったみかんのような薄味の文章を書いているなど嘆かわしいと思っているに違いない。師匠は気違いが好きなんだ。

 もっとも僕の心配するネタの枯渇は杞憂の可能性がある。僕の以前のブログのような縛りを設けなくても、どざいさんや笹松くんのブログは面白い。特に笹松くんのブログはもう何年も前から「膣内射精」の話しか書いてない。どんな社会問題でも世間話でも、膣内射精に繋げられるのである。マンネリだろうか。仮にマンネリだったとして、誰が彼を責められよう。この期に及んで「サザエさん」がマンネリであることを批判する人などいない。我々が「サザエさん」に求めるものを考えれば、「サザエさん」があれでいい理由など明らかである。突然、笹松くんが「起業しよう」とか「素敵な同僚と上司に会えて圧倒的成長」とか言い出したところで、誰もそんなのを求めていないのである。すなわち、僕に人畜無害な文章など求められていないのである。女の子の姿をした着ぐるみさんの中にコンドームをつけた男性がむらむらしながら入っているって素敵ですよね、とかそういう話が求められているのでいる。

 

 二つ目の「パラグラフの数は原則四つ」であるが、これは当初文章の構成力を身に着けたいと、その4パラグラフで「起承転結」を付けられれば、と思って設定した縛りである。が、薄味な文章では、そばと言いつつほとんど小麦粉で繋いどるやんけというようなスカスカの文章がより引き伸ばされるだけであり、逆に自分が書きたいと思うお題では、四つのパラグラフに無理矢理収めたようとしたり、これ見た目四つやけど、実質七つあるやんけといったような歪が生じることになったのである。

 「起承転結」などとんでもない話で、一般人の与太話がそこまで綺麗にこの形に落とし込めることなどない。もちろん結に当たるオチはある程度必要だと思うが。起承転結に苦しめられるなんて、植田まさしなど4コマ漫画家だけで十分である。むしろまんがタイムきららとか、あいつら4コマを「起承転結」の形に落とし込むつもりなんてもはや毛頭ないぞ。

 

 三つ目の「『ですます』調で統一する」であるが、僕は『だである』調と『ですます』調が考えなく混同されている文章ほど頭の悪いものはないと思っている。なまじまともな教育を受け、まともな大学を出てしまった以上、たとえネットという電波展示館のような場所でもここだけは譲りたくないのだ。僕は学力が高いんだ、ということをアピールしたいのである。

 で、たまたま最初に書いた文章が「ですます」調だったので、以降「ですます」調でブログを書き続けることになったのである。が、知っての通り、僕はそこまで行儀のいい人間ではない。むしろ「ですます」調など最も使いそうにない人間である。(なるほどですね。)そもそも、僕の大事な人生を会社などというつまらない空間で浪費していて、そこで使う言語は(それほど厳しいものではないものの)敬語、すなわち「ですます」調で辟易しているのに、ネットましてや自分の庭とでもいうべきブログという自由な空間で「ですます」調を使っているだなんて、首輪をつけて喜んでいるマゾなケモナーのようなものである。僕は、着ぐるみを着てあざとい仕草をして男性を萌えさせてそれを中から見てニヤニヤほくそ笑むような、むしろサドな人間である。自分の庭では大いに「だである」調を使わせてもらおうじゃないか。

 

 以上、今後、僕のブログでは上記三つの縛りを外し、より自由気ままにブログを書こうと決心した。やっぱり着ぐるみ内射精がナンバーワン!

キス

 皆さんはキスをしたことがあるでしょうか。私はあります。
 みたいな書き出しってすごく笹松ブログっぽいよね、みたいなことを思いながら書いてみました。
 どうも最近自分で書くブログがそんなに面白いと思いません。理由はわりと簡単で、笹松氏のブログやどざいさんのブログが面白いからで、それらに比べるとどうしても自分のブログが見劣りすると思ってしまうからなのです。
 あとこれは一般によく言われることなのですが、ネット上での執筆活動というのは、受験を控えているなどリアルでの活動がわりと切羽詰まっていたりしているときの方が面白いそうです。実際、笹松氏のブログの最盛期は、退職寸前であったと言われています。
 ところで、このブログ記事を書いている1月3日16時現在は、関東への5泊6日の旅行の帰路なわけで、明日から仕事という「精神的にわりと切羽詰まってる」状態なわけであります。ということは、今なら、わりと面白い記事が書けるんじゃないかと思い、筆を執ってみることにしました。しかも僕は、着ぐるみしか能のない人間なので、着ぐるみのことをテーマにすれば、そこそこ面白い記事が書けるんじゃないかと踏んだわけです。
 さて、今回のテーマは「キス」です。おいおい、キスをテーマにしておきながら、第一パラグラフで「着ぐるみ」と限定している時点で、生身の女の子へのキスの話は排除してしまうのかよ、というところですが、はい、そうです。
 生身の女の子にキスしたのなんて10年くらい前ですからね。ていうか、世間一般の男性は「女の子」という名詞に「生身の」なんて形容詞つけないですからね。着ぐるみ界隈の男どもがいかに狂っているかよく分かりますよね。そもそも世間一般の男性は、ネットで知り合った本名もろくに知らない男性に"女装"して抱きついたりしませんからね……。

 

 着ぐるみさんとキス。これはざっくり次の二通りに分けて論じることができます。一つ目は、自分が外の人として着ぐるみさんにキスするケース。二つ目のケースは、自分が中の人として外の人にキスされる、あるいはキスするケース。ここでは外しましたが第三のケースとして着ぐるみさん同士でキスする場合も考えられますが、これは硬い同士が接触することになり、面の塗装が剥げることがあふので、おすすめできません。

 一つ目の「自分が外の人として着ぐるみさんにキスするケース」ですが、実際僕は着ぐるみさんにキスするのが大好きです。キスをするのは、閉じ口に限ります。開き口にはキスをしません。口を開けたままキスする女の子なんていないでしょ……。
 特に、キスをしやすいなーと思うのは、やっぱりぬこ面です。ぬこ面は、面が比較的小さく、かなり近くまで寄っても違和感を覚えない造形をしているので、その意味でキスがしやすいと思うのです。着ぐるみさんとイチャイチャするときは、まず着ぐるみさんを抱きしめ、キスをしながら股間を弄る。最高です。特に、キスをしたときに、面の内部が中の人の呼気によって温められ、人肌程度に温められている場合があり、人形なのに"体温"を感じる、というギャップを楽しむことができます。
 二つ目の「自分が中の人として外の人にキスされる、あるいはキスするケース」。わざわざここで「あるいは」という接続助詞を挟んだのは、この両者は厳密には異なるからです。外の人にキスされる受動的なキスはまあ外の人が勝手にやる分なので、なにも問題ないのですが、自分からキスをしにいく能動的なキスは、操演者のテクニックが要求されます。というのも、自分の口の位置と自分が被っているキャラクターの口の位置が異なるからです。当たり前ですね。特に、一般に着ぐるみは顎上がり*1する傾向があるために、やや下を向く必要があるにも関わらず、キスをするためには口が下に付いているために、そのときだけは上を向く必要があるのです。それでも正確なキスは難しいためにある程度まで合わせて、「キスをせがむ」ような仕草を見せるといったテクニックの合わせ技も考えられます。知らんけど。さらにキスをするときは両唇吸着音を鳴らし、あたかも本当にキスをしたかのように見せるといった高等テクニックを駆使することもあるらしいです。知らんけど & 知らんけど。


 先日、とあるオフで僕が着ぐるみを着ているときに、とあるまだ着ぐるみを初めて一年かそこらしか経っていない方にキスをしたのですが、その方は「着ぐるみさんにキスされたの初めて……」とちょっと驚かれていました。いやー、初めて奪っちゃったな、てへぺろ
 本ブログではまだ公開しておりませんでしたが、新しい娘として岡山さん*2より初音ミクをお迎えしました。そのお披露目オフ中の話なのですが、岡山さんの前でクラウスさん*3にキスされました。岡山さんは、それを見てたいそう驚いたらしく、「いやー、自分の作った面にキスをする人って初めて見ました」と感心した様子でした。なんでも、岡山さんは、着ぐるみ業界に入るのに複雑な経緯のあった方で、周りが着ぐるみに関する情報を一部封鎖していたとのことで、そもそも着ぐるみに対してそういった種類の愛情表現をするということが新鮮だったようです。いやー、またしても初めて奪っちゃったな。てへぺろ

 

 と、このように、着ぐるみさんとキスというのは、着ぐるみ界隈では比較的commonな行為なのですが、その一方で、どざいさん*4のように「着ぐるみとキスするのは、なんか作りものっぽさを如実に感じてしまうので好まない」と"斜に構えた"見解を述べる人もいます。以前、僕が彼のことを「斜に構えている」と指摘したことを不服に思っているらしく、それに抗議する内容の記事をブログに挙げていましたが、一転。「僕は彼らほどハードボイルドにはなれないし、僕は自分のちんこに着ぐるみの中で射精させることなんてできない」という謝罪文を声明するに至りました。いやいや、着ぐるみの中でオナニーしないって、お前パンピーかよ……*5
 いろんな男性が着ぐるみさんにキスしているなら、着ぐるみさんにキスすることは他の男性と間接キスしていることと同義になりますからね。あ、でも、それって現実の女性でも同じか。ビッチなら特に。パンピー男性、女性を介して他の男性と間接キスしていることになる説、これ水曜日のダウンタウンで紹介されませんかね。
 最後にキスと似て非なるものを一つ。上記で口開きの娘にキスはできないということを述べさせてもらいましたが、以前とあるところで口開きの娘をやらせていただいたときに、例によってキスされたのですが、口開きの娘にどんなふうにキスするのかなあと思っていたら、口に開いているスリット越しに中の人の呼気を吸うというプレイを楽しんでおられました。後頭部に手を入れて、温もりを感じることで中の人の存在感を感じる方は多いのですが、このように口のスリットを通じて、中の人の呼気を吸う人もいるのだなあ、と感心した覚えがあります。ですので、着ぐるみを着る前に、にんにくを大量に食うなどといった行為は絶対にしてはいけませんし(このあと自分をかわいがってくれるであろう人に何らかの嫌がらせというテロ行為をしたいのなら別ですが)、ブレスケアの大事さを説く一件となりました。小林製薬も「着ぐるみ着るその前に」みたいな感じで、テレビCMを打つといいのではないでしょうか。

*1:着ぐるみの視界と自分の視界がズレるために、着ぐるみを外から見ると上を向いている、すなわち顎が上がっているように見える現象。これを防ぐために操演者は常に上目遣い気味に外を見る必要がある。

*2:最近、着ぐるみ業界に面を供給しているクリエイター。阿見工房とも。もなか工房の弟子。大学院でも着ぐるみと経済を研究している。

*3:着ぐるみさんに対する愛情表現には定評がある。

*4:芸人。

*5:厳密に言うと、彼がキスを好まないのは、斜に構えているよりは、「作りものっぽさを如実に感じてしまう」という哲学のためだと考えている。

芸歴

 早いもので、着ぐるみを始めてから6年目になります。以前、Twitterで僕は「大御所・準大御所・中堅・若手」のどれでしょうか、というアンケートをして、「大御所」が最多得票を獲得しました。僕の周りには愉快な人が多いので、流石にみんなネタで投じる人が多かったのだろう、と推測していますが、それでも、もうこの芸歴になると「準大御所」か「中堅」がいいところで、もはや「若手」の面はできないでしょう。会社で言うと主任クラスであるのは間違いないです。でもうちの会社、主任手当5千円だけらしいからな。うん、やっぱ大したことないな。

 

 とは言うものの、6年目というのはそれなりの年数を重ねてきたのだなあと感慨深くもなるものです。この業界において、着ぐるみを始めてから何年目というのは、その人を定量評価する一つの指標となります。もちろん、短い芸歴でも活動的な人や、長い芸歴でもずっと日陰で活動してる人もあり、一概には言えないのですが。ていうか、着ぐるみの操演ってぶっちゃけ芸歴じゃなくて才能で決まらね? 何年経っても、お前いつから着ぐるみやってんだ、みたいな人もいれば、「お、先月着ぐるみ始めたんか。まあ、とりあえずお面被っていけや」と面をカポっとするだけで、萌え殺しにかかってくるような人もいます。さて、僕の芸歴の6年目ってのは、僕が僕の師匠であるよっきーさんと出会ったときの、よっきーさんの芸歴らしいです。嘘やん。僕が出会ったとき、既によっきーさんは雲の上の人やったぞ。僕、6年目やけど未だに初心者やぞ。

 

 そんなよっきーさんですが、なんと来年10年目を迎えます。どざいさんによると、10年目を迎えると「大御所」になるそうです。畏れ多い。僕と出会う前は、着ぐるみ界隈で最もマトモな人の一人とされていたよっきーさんが、僕と出会うことでキャラが崩壊し、二言目には「クラウスさんぶっかけ!」と言い、車に乗るとカジュアルちんタッチをしてきて、宅オフではチューをしてき、前フリも何もなく「きゅんきゅんする??」と煽り聞いてくるような無茶苦茶な人になってしまいました。よっきーさん曰く「くっしーくんに出会って壊れちゃったww」だそうですが、いやいや、そんな雲の上の人が僕ごときに壊されちゃったらいけないでしょ。悪の組織である会社にすら壊されなかった強靭な精神を持つとされるよっきーさんが、僕みたいな馬の骨に壊されちゃいかんでしょ。そんなよっきーさんが来年大御所になってしまうのです。もう今までのようにアホなことはしてくれなくなってしまうかもしれません。アレです。僕の上司も役職がなかった頃は社内でもやんちゃくれ風雲児だったのが、役職を持つようになってからは、フリーダムに振る舞えなくなってしまったことを嘆いたそうですが、それと同じ構図です。知らんけど。

 

 よっきーさん自身は、僕のことを弟子というよりはむしろ「相方」と見てくれているようです。「よっきーさん、来年大御所やん」と言ったら、「『大御所』って言われたないわー」とぼやいていました。界隈において、大御所というのはしばしば老害の意味もあり、まだまだ現役やわという意味合いもあるのでしょう。実際、よっきーさんはバリバリ現役で、「若手」や「中堅」クラスと比べても、比べ物にならないくらい精力的に動いている気がします。僕も、「大御所」になっても、長い芸歴に恥じないよう、あれくらい動きたいものです。

カラオケ

 初めてカラオケに行ったのは高校一年の頃でした。高校の文芸部の、文化祭の打ち上げとして行ったんだと思います。初めてのカラオケのことはあまりよく覚えていませんが*1、まあ多分楽しかったんだと思います。それから、2ヶ月に一回程度の頻度で、同様のメンバーでカラオケに行くようになりました。当時行きつけだったカラオケは、ジャンカラ藤井寺店でした。同じ高校のみんなの溜まり場でもありました。

 

 機種はDAM。それもCyber DAMでした。こんなことを書くと、老人と思われそうですが、僕が高校一年のときは、初音ミクはこの世には存在しなかったのです。今になってみると、ミクさんが存在しないという世界そのものが信じられないくらいなのですが、当然VOCALOIDの楽曲もカラオケには入っていませんでした。高校2年のころになりVOCALOIDが世に出てきて、瞬く間に世間を席巻します。ボカロ黎明期に立ち会えたことは、僕の財産になっていると言っても過言ではないかもしれません。嘘です、ちょっと言い過ぎました。で、それから1年ほどして、JOYSOUNDにボカロの曲が入りだします。ただ、行きつけだったジャンカラはJOYの筐体の設置がなく、むしろそのジャンカラしか知らなかった僕にとっては、JOYは都市伝説だろう、という感じで、泣く泣くDAMしか置いてないジャンカラニコ厨っぽい曲を歌っていました。音痴でしたが。

 高校を卒業し、見事京大を滑った僕は、駿台で僕の人生の三本の黒歴史に入るであろう浪人時代を過ごします。そんな鬱屈した浪人生活で数少ない癒やしだったのがカラオケでした。金曜日は午前で授業が終わっていたため、午後は千日前のシダックスヒトカラをしていたのでした*2。千日前のシダックスにはJOYの筐体が置かれています。ドリンクバーが有料で、部屋代がジャンカラの倍近くする高級カラオケ店シダックスでしたが、それでも行く価値はありました。なんたってぼからが歌えるから。


 そんな時代を経験した僕でしたが、時代はさらに下ります。当時、通信カラオケ最大手はDAMで、これさえあればオッケーという風潮がカラオケ店にもあったのでしょう。ところが、上述のようにJOYを指定する客が目に見えて増え、あるいはDAMしか置かれてない店舗の利用客が減ったのでしょうか。ジャンカラにもJOYが置かれるようになりました。現在は、おそらくどの店舗にもある程度の新旧の差はあるとは言え、JOYの筐体が置かれています。これで高級カラオケ店シダックスに用はなくなりました。あばよ、シダックス
 一方、殿様商売であぐらをかき続けてきたDAMも流石に危機感を覚えたのでしょうか。なんたって、当時JOYで歌われた楽曲ベスト30のうち4分の1がVOCALOID楽曲という状態でした。"売れ筋"トップに並ぶ曲がないDAMは、いくらなんでも品揃えが悪すぎでしょう。これは喩えるなら、ケーキ屋に行って「ショートケーキは?」「ありません……」「モンブランは?」「ないです……」「じゃあ、チーズケーキを」「すみません……」。業界一位の通信カラオケが数年間に渡ってこんな体たらくだったとは情けなさすぎでしょう。どのタイミングかはあまり覚えていませんが、一念発起して猛烈な勢いでVOCALOID楽曲を入曲し、今やJOYと遜色ないレベルにまで並びましたが、やはり老害である僕としては、上述の情けない時代の記憶が色濃く残ってることと、DAMがサボってた時代の曲が抜け落ちてる場合がしばしばあったことから、今でもカラオケに行く際はJOYSOUNDを必ず指定します。

 

 「好きこそものの上手なれ」という諺がありますが、その一方で「下手の横好き」という諺もあります。僕にとって、その最たる例が、カラオケです。カラオケに行くこと自体は大好きなのに、音痴なのです。わざわざカラオケのことを延々記事に書く程度にはカラオケ好きなのに、音痴なのです。僕はドMなのでヒトカラのときは採点を入れるのですが、大抵ボコボコにされます。アドバイスみたいなところで、「緊張してる?」とか「周りを気にせずに」みたいなコメントをされるのですが、うるせー! 俺はもともと歌が下手なんだよ! なぜか「君が代」だけは高得点なのですが。右翼か! リズムが取れない音程が合わない、そもそもうろ覚えという問題があります。そのわりにはレパートリー自体は多く、100曲か150曲くらいあるんですけどね。7時間ヒトカラしたこともありますが、途切れませんでした。が、75%がVOCALOID関連楽曲、20%がアニソンなので、"お外"に行って歌える曲はほぼ皆無です。本当にありがとうございました。
 まあ、着ぐるみが趣味でも、操演がクソだったり体型が雑魚だったり、ということは非常によくあることなので、まあ「下手の横好き」でいいんじゃないですか。僕も「あいつカラオケ趣味なのに歌唱力クソ」とか後ろ指差されてるんでしょうね。え? お前の操演や体型はどうなんだ? いや、まあ、それは「好きこそものの上手なれ」になれるよう頑張ります……。

*1:文芸部員で引きこもりキャラだった涼露が、遅刻してカラオケ店の最寄りの駅まで来たにも関わらずなぜか顔を見せずに帰ったということだけは覚えている。

*2:平日の午後だというのにわざわざ予約までしていた。ドリンクバーが有料なので勝手に外で買ったお茶を持ち込んでた。

理科

 どうも、人畜無害なブログを書き続けています。奇を衒った基地外めいた記事より、もっと日記のような朴訥とした記事を淡々と書き続けている方が好感が持てるという、裏の裏を書いたようなことを言われたこともあります。
 理科の授業は、昔から好きでした。おそらく、遺伝子的に理系なんだと思いますが、中学校の先生にも恵まれたのも大きいと思います。別に、中学校の理科の先生は、でんじろうのように面白い実験を授業で繰り広げていたわけではありません。むしろ、講義にひたすら徹していました。教科書をほとんど使わず、体系的に整理された板書を無言で黒板に書き、みんなが概ね書ききったら説明を始めるというスタイルの授業でした。当時の先生にありがちな、板書をしながら説明をするので、生徒は板書の書き写しと説明の聴講というダブルワークをする羽目になり、結局何の話だったのかよく分からないという問題が回避される斬新なやり方でした。そして、一通り説明を終えたら、簡単な練習問題を刷ったプリントを配り、一定の時間を与えて解いたあと、一人ひとり順番に当てて答えを言わせ、みんなで答え合わせをする、というスタイルでした。なお、問題を解くスピードは個人差があるので、早くできた人は他の問題を解いたり、他の科目の内職をしたりしてもOKという待遇でした。今こうして思い返しても、公立中学校の授業とは思えないほど、洗練されていて無駄がない授業でした。

 

 中1と中3のときは上述の先生のお世話になりました。中学一年のころ、「裸子植物」の「裸」という字を、ころもへんではなくしめすへんで書いてしまい、部分点ではなく、全部減点されるということに腹を立てました。先生は「国語の授業ではないので、間違えた字は減点するが平仮名だったら減点しない」というので、その言葉を真に受け、解答用紙に書く文字は、自分の名前以外はすべて平仮名、片仮名、記号、算用数字に絞るという対策を練ることで徹底抗戦しました。それで、テストの点数は常に96点以上だったのだから、なかなかエキセントリックな生徒に見えたことでしょう。中3は流石に受験もあるし、まあ大人気なかろうということで、真面目に漢字も書きましたが。

 そんなわけで理科の通知票の成績は、その先生が担当のときは、常に10段階評価の10でした。中2のときは、相性の合わない先生になり、9が付けられたことがありました。ちなみに、国語、数学、社会の三科目では、三年間を通しすべて10でした。保健体育を除くすべての科目で、最低一回は10を取ったことがあることになります(なんと、「音楽」も!)。田舎の学校だったので、井の中の蛙、お山の大将でしたが、それでも、一目置かれていたのは客観的事実としてありました。

 

 そういうわけで、僕のなんとなく理系という方向性が定まったのは、この先生の影響もあったことでしょう。そして、高校では、物理の先生に惚れ込むことになります。この先生は時々面白い実験を授業内でしてくれましたが、やはり授業にこの先生の真髄は詰まっています。まるで予備校の先生のようなどっしりとした構え方。それでいながら、予備校の先生のように自分を崇めさせようとはしない。この先生の教え方のすごい点は、どんな問題でもシステマティックに定石にまとめてしまうところ。どうやって解けばいいのだろう、ではなく、必ずこうすれば解けるという形にまとめてくれるのです。三年間で習った物理のすべての分野の公式と定石を合わせわずか6枚の紙にまとめてしまうという神業の持ち主でもあります。独創的だったり、あるいは喩えが秀逸だったり、ありとあらゆる手段を用いて、生徒を魅了していました。さらに、驚嘆すべきは、夕方に希望者講習をやってくれるのみならず、部活で出られない人のため早朝7時にも同じ講習を開講し、最近ではそれも見られない人のため、YouTubeに自分の講習を上げているという点です。公立高校ですよ?!

 

 インターネットではなにかと叩かれがちな学校の先生ですが、振り返ってみると、かなり尊敬できる先生に出会うことが多かったと思います。おそらく上記の二人は、僕の人生で会った尊敬する人ベスト10に入っています。

キーリ

 高校の頃は月に2冊くらいのペースでラノベを読んでいました。僕の青春を構成しているものの一つに電撃文庫があると言っても過言ではありません。そのラノベの供給元は、概ね学校の図書室と駅の本屋の立ち読みに限られていました。フリーライド万歳です。今のネットなら叩かれていたでしょう。特に、学校の図書室は借りることを想定されているシステムだからともかく、駅の本屋の立ち読みは褒められた行為とは言えないでしょう。なんせほぼ毎日20分、ライトノベルを前日の続きから読んでいたのですから、よく叩き出されなかったものです。ただ、田舎者の僕は駅からのバスがなかったのです。仕方なく本屋で時間を潰していたのです。その点は許してほしいと思います。

 

 さて、その中でも、やはり心に残るライトノベルというのは何点かあるもので、そのうちの一つが壁井ユカコの『キーリ』でした。『キーリ』は、主人公の少女キーリと、「核」を埋め込まれ不死人となったハーヴェイ、それにラジオに憑依した霊の兵長が3人(2人+1台?)で旅する物語。戦争で荒廃し、発展した科学技術を失った世界を舞台としています。「核」は、戦前の技術を後世に伝える貴重な化石燃料かつ資料で、これを巡って様々な物語が繰り広げられます。ライトノベルにしては比較的珍しく、色気もなく辛うじて主人公は少女であるものの、全体としては土臭く鉄臭い灰色の雰囲気が漂っている小説です。というか、昔のラノベって、わりとそんな感じだった気がするんですけどね。今のラノベってだいたい異世界でハーレムになるじゃないですか。まあ、それもそれでいいと思うんですけど、当時のようなまだ方向性が定まっていない頃に書かれた、大衆小説との峻別が難しいようなライトノベルも面白かったんですけどねえ。

 

 鉄臭い雰囲気とか土臭い雰囲気って実はすごく好きなんですよ。僕が着ぐるみフェチであるということは、ゼロが自然数であることよりも有名ですが、もう一つ僕の地味なフェチとして廃墟があります。と言っても、別に廃墟でシコったり廃墟を被って股間に電マを当てたりしているわけではないのですが。廃墟はいいです。人工物が朽ちていき自然と同化していく過程で、ものは土臭くそして鉄臭くなっていきます。なにより、そこに人の営みがあったということ、そしてそこで再び人の営みが灯ることはないのだろうという不可逆性、すなわち無常観を突きつけられ、どうしようもなく込み上げてくるものが好きなのです。別に廃墟なんか見なくたって、自身が社会人になってしまったという現実を目の当たりにするだけで、吐き気がするほど人生の不可逆性と無常観を考えさせられますが。とにかく、廃墟が好きなのです。中学の頃の卒業発表は軍艦島*1だったほどです。M1のときに、世界遺産となった軍艦島に上陸するツアーに参加し、かくして8年前の夢を叶え、伏線を回収したのでした。ところで、廃墟好きの間で有名なサイトの一つに「廃墟デフレスパイラル」というところがあるのですが、あのどざいさんも愛読していたと知って、奇妙な由縁を感じたのでした。あのどざいさんが、着ぐるみ芸人としてでもピン大生としてでも優秀なサポートとしてでもなく、一サイトの読者として登場させられるのは、おそらく世界初でしょう。

 

 さて、翻ってキーリの話。『キーリ』は、そんな荒廃した世界を舞台に、主人公達が旅をする物語でもあります。旅をするライトノベルと言えば、ほかに『キノの旅』も有名です。夜は野宿をしたり、見知らぬ街の宿に泊まったりするのです。旅をする創作作品というのは、これはもう数え切れないほどあるのでしょう。ただ、現実の世の中に旅をしている人なんてそうそういません。みんな安住の地を約束されながら、学校や会社を行き来する数学的帰納法のような毎日を送っているのです。僕は、旅というのに憧れました。初めて、長い旅行をしたというのは、おそらく大学二年の夏だったと思います。夏休みの天文部の合宿に、フォロワーさんに会いに行く東京遠征をくっつけて、7泊8日ほどの日程の旅行をしました。旅行もこれほどの日程ともなると、途中で衣類を洗濯せざるを得ず、コインランドリーを求めて右往左往したものでした。で、コインランドリーの存在と使い方を覚えてからは、「おお、これは無限に家に帰らなくてもいいんじゃね」と思うようになりました。ジプシーとして、定住地を持たず、21世紀の松尾芭蕉として生きていく、そんな道にも憧れました。もちろんそんなことはなく、予定通りの日に帰路についたわけですが。ただ、今でもたまに遠方から学生が遊びに来て「いつ帰るの?」と聞いて、「いつでも」とか「まあ最長今週いっぱいは適当に」みたいな答えが返ってくると、「ああ、旅してるな」と思うわけです。アウトドアで活動的と思われてる僕でも、やっぱり安住の地である家を持っているというのは大きく、何だかんだで旅なんかに出るより、家に帰ってるほうが安心する性質なのですが、それでも、というか、だからこそ、旅に出るのに憧れるのかもしれません。

*1:長崎県端島のこと。かつては炭鉱で栄え、小さな島に人口5000人を誇る高密度都市として発展したが、閉山により島全体が廃墟になった。潮風にさらされ、かつての賑わいを決して取り戻すことはないという烙印を押されながら、無骨にして荘厳なかつての栄光を偲ばせるのに十分なコンクリート建造物が林立する。